新緑の森のダンジョン 6

 

 

 

 

 

 



ハルカがぼくのところに来てから、一つの季節が過ぎようとしていた。

この辺りは元々暖かいから雪が降るなんてことはないけど、それでも春に近づいていってるのは嬉しかった。

でも、季節が変わっても、そのままのものもある。

ハルカは相変わらず人間のままで、相変わらず落ち着きがなかった。

今もぼくがソファーに座って本を読んでいると、後ろから首に抱きついてきた。

「ねえ、シュウ、遊んでよぅ。」

「君も本を読めばいいだろう?本はいつでも読んでもらうのを待ってるんだよ。」

「わたしはシュウに遊んでほしいのー。」

そう言って、ハルカは離れない。

それどころか、ますます頭を抱きしめてくる。

仕方ないな……。

「分かったよ、ハルカ。おいで。」

「やったぁ!」

ハルカはソファーの前に回って、ぼくの膝に乗ってきた。

そのままぎゅっと抱きついてくる。

……このエネコ、今は人間の女の子だっていう自覚があるんだろうか。

とりあえず、ぼくは本を横に置いてハルカの頭を撫でる。

ハルカはぼくに撫でられるのを気に入っているようで、何かいいことをしたり、こうやって遊ぶ時はいつも頭を差し出してくる。

そういえば、あのエネコもこうやって撫でてやると喜んでいたっけ。

ぼんやりと思い出しながらハルカの頭を撫でていると、ハルカがムッとした顔でこちらを見上げてきた。

「……シュウ、何か他のこと考えてるでしょ?」

手が心ここにあらずだったとハルカは言う。

難しい言い回しを知っているね、ハルカ。

「少し昔を思い出してただけだよ。」

ハルカと一緒に暮らすようになってから、昔を思い出すことなんてほとんど無くなったけど。

「……昔、お気に入りだったエネコのこと?」

思わず息を呑んだ。

言い当てられたのはもちろんだけど、ハルカがそのことを知っていたから。

「……前にロゼリア達が教えてくれたの。シュウはそのエネコが大好きだったって。」

目を見開いたまま固まっているぼくを見て、ハルカはそう続けた。

そういえば、前にハルカがポケモン達と遊びに行って、帰ってきたら数日間元気が無かったことがあった。

もしかして、あの時に、ぼくがここで暮らしている事情を聞いたのだろうか。

まあ、聞いたとしても一部だろうけど。

全部聞いたら、こんな風には接してくれなくなるだろうから。

「ねえ、シュウ……。」

ハルカはぼくの胸に顔をうずめて問いかけてきた。

「そのエネコとわたし、どっちが好き?」

「は?」

どうしてそんな質問が飛び出してくるんだ?

「ねえ、どっちが好き?」

ますます強く抱きついてくる。

「そんなの比べられるわけないだろう。」

そのエネコはそのエネコ、ハルカはハルカ。

そのエネコはぼくのお気に入りのポケモン、ハルカはぼくのお気に入りの同居人。

比べようにも比べられない。

「わたしの方が好き?」

「……君ね、比べることに意味なんて無いと思わないのかい?」

「同じエネコだもん。比べられないこと無いでしょ。」

ハルカは胸から顔を上げて、ぼくを見つめてくる。

参ったな……。

「例え、君がエネコでも比べられるものじゃない。今の君は人間だしね。」

そうなのだ、ハルカはどれだけエネコっぽくても人間なのだ。

人間っぽいエネコというのが本当の言い方なんだろうけど。

とにかく、比べる次元が最初から違う。

「どうして君はそんなことを聞いてくるんだい?」

疑問はこれに尽きる。

今までそんなことを考えもしなかっただろうハルカが、ぼくの思い出のエネコを気にしている。

少し好奇心が湧いてくる。

「……シュウがわたし以外のエネコを好きなのは何か嫌。」

驚いた。ハルカはぼくの思い出のエネコに嫉妬しているらしい。

会ったこともないエネコに対抗意識を燃やしている。

「可愛いね、ハルカ。」

抱きしめてよしよしと頭を撫でてやる。

もっとも、この嫉妬も恋愛感情なんかではなくて、どちらかと言うと、自分のトレーナーを知らないポケモンにとられたエネコとしての嫉妬なんだろうけど。

少し残念だと思う。

……どうして残念だと思うんだろうか。

ぼくがハルカに恋愛感情を持っているわけではないと思うけど。

恋愛感情を持っていたら、こんな風に抱きしめるなんて恥ずかしくて出来ないだろうし。

「ハルカ、確かに、ぼくはあのエネコが好きだったし、今も好きだ。」

ぼくはハルカの目を見つめて答える。

ハルカが納得するような答えで、自分の中の真実を。

「それでも、今ぼくと一緒に暮らしているのは君だ。ぼくは君を気に入ってるし、大切に思っているよ。」

「どのくらい?」

……このエネコ、興味の対象がコロコロ変わるくせに、飽きるまでは結構しつこい。

「君のトレーナーが君を取り返しに来ても追い返したくなるくらい。」

頭を撫でていた手でハルカの白い首輪に触れる。

ぼくもハルカと同じかもしれない。

会ったこともないハルカのトレーナーに嫉妬している。

ぼくと違って、ハルカは昔好きだった人間を覚えていないけど、それとこれとは別。

ハルカと一緒にいるのはぼくだけでいい。

ぼくだけがいい。

「君とずっと一緒に暮らしていたいくらいには、ぼくは君が好きだよ。」

「……。」

ハルカはしばらくこちらをじっと見つめていたが、

「それならいいかも!」

そう言ってまた抱きついてきた。

せっかくハルカが機嫌を直して抱きついてきたのだ。

このままご機嫌が続くのが一番。

ぼくもハルカを抱きしめて、また頭を撫でてやった。




その夜、ぼくが自分の部屋で寝ていると、何か大きな音がした。

思わず目を開けると、外は大雨だった。

カーテンの隙間から強い光が見える。

雷も鳴ってるらしい。

ということは、さっきぼくを起こした大きな音は雷の音だったのか。

またカーテンの向こうが光った。

数秒もしない内に轟音が響く。

かなりここに近いようだ。

ぼくはまた目を閉じた。

かなりうるさいが、別に眠れないことはない。

気にしなければ、今の睡魔でも十分雷には勝てるだろう。

うとうとしていると、今度は小さな音が聞こえた。

雷なんかとは比べ物にならない微かな物音。

でも、家の中から聞こえてきた。

しかも、これはハルカの部屋の方だ。

少し気になったので、ハルカの部屋に行ってみる。

「ハルカ?」

トントンとドアをノックしてみるが返事は無い。

この部屋から聞こえたような音は気のせいで、今でもハルカはぐっすり眠っているんじゃないだろうか。

しかし、どうも気になる。

少し覗いてみようか。

別にやましい気持ちで覗くわけじゃない。

ハルカがちゃんと寝ているかどうか確認するだけだ。

ぼくは何故か自分に言い訳しながら、ハルカの部屋のドアを開けた。

ハルカはベッドにいなかった。

「ハルカ!?」

慌てて部屋を見回す。

ハルカはちゃんといた。

部屋の隅に縮こまって、耳を塞いで震えていた。

「ハルカ、大丈夫かい?」

ぼくはハルカに近寄ってしゃがむ。

耳を塞いでいた手をゆっくり外してやると、涙が幾筋も伝っている顔でこちらを見上げてきた。

ハルカのこんな怯えた顔、見たことがない。

「やだ……この音……この光……怖い……。」

また窓の外が光った。

「いやあっ!」

ハルカは必死でぼくに抱きついてくる。

苦しくなる程の力だった。

ぼくはハルカを抱き返してやりながら、窓を見た。

この部屋は雷の鳴ってる方角に近い上、窓がそちら向きに付いている。

窓から見える光もぼくの部屋よりずっと強かった。

ハルカをこの部屋から出さないといけない。

「ハルカ、立てるかい?」

ハルカは首を小さく横に振る。

腰が抜けて立てないらしい。

ぼくはハルカを抱き上げた。

そのままぼくの部屋へ連れて行く。

ハルカを安心させて寝かしつけてやらないといけない。

季節の変わり目は、こんな雷が一晩中続くことも珍しくない。

ずっと怯えさせておくのは可哀相だった。

ハルカをぼくのベッドに寝かせる。

「ここだったら光もあまり見えないから。大丈夫、雷はこの家に落ちたりしないよ。」

ハルカの頭を撫でてやる。

「ゆっくりおやすみ、ハルカ。」

手を離して、部屋を出ようとした。

しかし、ハルカがパジャマの袖を掴んできたので、それは出来なかった。

「やだ……一人はいや……シュウ、行かないで……。」

涙を流しながら訴えてくる。

「やだよぅ、シュウ、置いていかないで……。」

ハルカは縋るようにぼくの手を両手で握った。

「シュウ、抱きしめてよ……一緒に寝てよ……。」

……ハルカが怖がっているのはよく分かるが、それはいかがなものか。

年頃の男女が同じベッドに寝るというのは問題があるような気がする。

そういう気持ちが一切無かったとしても。

でも、ハルカは怯え切っている。

ここでぼくが出て行ってしまったら、一晩中泣き続けるのだろう。

……これはやましい気持ちじゃない、ハルカが心配だから添い寝してあげるだけだ。

ぼくはまた自分に言い訳しながら、シーツをめくってベッドに入った。

寝転ぶと、すぐにハルカが抱きついてくる。

ハルカの頭をなだめるように撫でながら、ぼくは困っていた。

ぼくだって男なのだ。

ベッドの中で女の子が抱きついてきたら、恋愛感情を持っているいないに関わらず、とにかく困る。

しかも、相手はハルカだし。

ぼくはハルカのこと気に入ってるし。

恋愛感情じゃないと思うけど。

ぼくは何故か、恋愛感情じゃない恋愛感情じゃないと頭の中で繰り返していた。

そうだハルカはエネコなんだ、エネコに恋愛感情なんて人間が持つはずないだろう、でも今はハルカ人間だし、いや人間なのは姿だけで心はエネコのまま、でもエネコと人間の違いって何だ、ポケモンにだって知性も理性もあるし、よく人間を好きになって求愛行動するポケモンの話って聞くし、でも人間がポケモンを好きになるのは聞いたことないけど、いやどこかの地方の神話ではポケモンと結婚した人間がいたとか、でもそれは昔の話で、いや今でもいいはずだ、何と言ってもハルカは人間、でもエネコ。

言い訳がエンドレスで頭の中を駆け巡っていると、ハルカがまた悲鳴を上げて強く抱きついてきた。

その強さと柔らかさに、頭のどこかでプツリと音がした。

……いいや、もう。考えるの疲れた。

「ハルカ、よく眠れるおまじないをしてあげようか?」

ハルカはぼくの言葉に顔を上げる。

必死の瞳でぼくの言葉の続きを待っていた。

ぼくは何も言わず、ハルカの頬を両手で包む。

そのままゆっくりと自分の唇をハルカの唇に重ねた。

少し触れ合わせただけで、すぐに離す。

「……もっと。」

ハルカが言った。

「このおまじない、安心するかも。だから、もっと。」

ぼくはまたハルカの唇を塞いだ。




あの後、キスを何回かしてあげたら、ハルカはすんなり寝てしまった。

ぼくに抱きついたままで。

だから、ぼくは眠るに眠れず、ずっとハルカの髪を撫でていた。

……ぼくはハルカが好きだ。

恋愛感情なんだろう、きっと。

ハルカがあんまりにも自然にぼくの心に入ってきたから、今まで全く気付かなかったけれど。

独りぼっちだったぼくの所にある日突然やってきた女の子。

嬉しくて、楽しくて、日々があっという間に過ぎていった。

その毎日で積み重なっていったハルカへの愛情。

それを自覚したのが今日だったというだけの話。

「……参ったな。」

自分の恋愛感情を自覚すると、相手にも自分を好きになってもらいたくなる。

ハルカはぼくのことが好きだろうけど、それとは違う好きをぼくは望んでいる。

ハルカはぼくに恋愛感情を持っていないと思う。

ぼくを見つめるハルカの瞳はあのエネコと同じだったから。

ぼくが大好きで仕方ないって。

それ以上でもそれ以下でもない。

ただぼくに懐いているだけ。

なのに、ぼくはそんなハルカに恋愛感情を持っている。

そして、そんなぼくが今抱きしめているのがハルカ。

このままずっと抱きしめていたい。

でも、ハルカはそうやってずっとぼくに抱きしめられて身動きが取れなくなるのを望んでいないだろう。

ハルカは自由そのものだから。

ぼくは自由なハルカが好きだから。

ぼくの自分勝手な考えでハルカを束縛しちゃいけない。

でも、だからと言って距離を置くなんて絶対嫌だ。

ハルカが自分からぼくに抱きしめられることを望むようになってくれないだろうか。

ハルカがぼくを好きになってくれれば全ては解決する。

でも、そんなのぼくにはどうにも出来ない。

恋愛感情なんて、他人にどうこう言われて持てるものじゃないし。

でも、ぼくはハルカが好きなんだ。

ハルカもぼくを好きじゃないとイヤだ。

嫌われたくないけど、それ以上に。

自覚してしまったこの感情、ハルカにぶつけたくてたまらない。

ぼくは抱きついてくる温もりを持て余しながら、一睡も出来ずに朝を迎えてしまった。

 

 

 

 

 

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