新緑の森のダンジョン 7
「じゃあ、行ってくるよ、ハルカ。」
「うん、気をつけてね。」
今日はシュウが町へ買出しに行く日らしい。
わたしは家の前でシュウを見送っていた。
「夕方までには帰るけど、お昼はちゃんと食べるんだよ。」
「それくらい一人で出来るかもー。」
「はいはい。」
シュウはわたしの頭を撫でる。
しばらく撫でていてくれたけど、手を離して傍にいたフライゴンに乗る。
「行くぞ、フライゴン。」
フライゴンがシュウを乗せるのは、町にシュウを送るためらしい。
前にロゼリアが言ってたのはそういうことだったんだ。
確かに、この森を歩いて抜けようと思ったら、森を出る前に遭難するかも。
フライゴンが翼を羽ばたかせ、空に舞い上がる。
「いってらっしゃーい!」
大きく手を振ると、シュウも笑って振り返してくれた。
わたしはフライゴンが見えなくなるまでそこに立っていた。
「ヒマ……。」
わたしはソファーに寝転んでゴロゴロしていた。
お昼も食べ終わってやることがない。
掃除も洗濯も終わらせてしまった。
こういう日は本を読んだり、シュウと遊んだりして過ごすんだけど、今は本を読みたい気分じゃないし、何よりシュウがいない。
シュウがいないとつまらない。
話せないし、抱きつけないし、頭も撫でてもらえないし。
……昼寝でもしようかな。
でも、やっぱりシュウが一緒に寝てくれないからつまらない。
この間の雷が鳴ってた夜だったっけ、シュウが初めてベッドで一緒に寝てくれたのは。
シュウがしてくれたおまじないも嬉しかった。
よく眠れるおまじない。
頬を柔らかく包んでくれた手はあったかくて、そっと重ねられた唇はとても優しかった。
あんなに激しかった雷も、シュウが抱きしめて守ってくれたからどこか遠くへ行ってしまった。
それから、雷が鳴る夜じゃなくても時々一緒に眠ってもらってる。
シュウと眠るととてもぐっすり眠れるから。
いつもはシュウのベッドで寝るんだけど、たまにわたしのベッドにも寝てもらったりして。
シュウはお願いすると困ったような顔をするけど、沢山お願いするとちゃんと聞き届けてくれる。
そのおかげで、わたしのベッドにもシュウの匂いがこれまで以上に強く残るようになった。
……やっぱり、ベッドで昼寝しようかな。
シュウの匂いがしたら、シュウがいなくてもシュウに抱きしめられてる気分になれるかも。
わたしはソファーから起き上がった。
その時、窓からロゼリアとアブソルがこっちに向かって歩いてきているのが見えた。
バタフリーとアメモースも一緒にひらひら飛んでいる。
遊びに来てくれたんだ。
わたしはみんなを出迎えるために玄関まで駆けていった。
「――でね、シュウったらそんなこと言うのよ。結構意地悪なんだから。」
果樹園のモモンの木の下に座ってみんなでおしゃべり。
みんなでって言っても、喋るのはだいたいわたし。
みんなは聞き役に回ってくれてたんだけど、何だか呆れたような目でこっちを見ている。
……一人で喋り過ぎちゃったかな?
今日話したのは、この間、シュウがわたしの髪を切ってくれた時のこと。
エネコの時は毛を刈るなんて無かっただろうから、わたしにとって髪を切るというのは多分初めてのこと。
だから、少し緊張していたら、シュウがからかうように嫌味を言ってきて。
言い返したら、彼はさらに嫌味を重ねてきて。
時々、シュウは嫌味とか皮肉なんかを言う。
だいたいは、わたしが初めて挑戦することをなかなか上手くやれない時。
その嫌味に突っかかっても、シュウはわたしの反論を軽くかわしてしまう。
それでわたしが小さく唸ってると、彼は何故か嬉しそうに頭を撫でてきて。
その手を感じていると、結局シュウに嫌味を言われたことなんてどうでもよくなってしまう。
それでまた挑戦を続けるんだけど、さっきまで上手く出来なかったことが不思議と上手く出来たりして。
あ、もしかしたら、シュウはわたしの緊張をほぐそうとしてくれてたのかな。
髪を切る時も、あんまり怯えなくていいんだよって言ってくれてたのかも。
やっぱり、シュウは優しい人。
そこまで考えた時、みんなとお喋りしてたことを思い出した。
まずい、シュウのこと考えててみんなのこと忘れてた。
慌てて顔を上げると、ロゼリア始めおなじみ4人組がこちらに背を向けてひとかたまりになっていた。
フライゴンがいたら、おなじみ5人組なんだけど。
……わたしが黙りこくってたから怒っちゃった?
ちょっと心配になったけど、どうやらそうじゃないらしい。
こそこそと4人でお喋りしてたけど、あんまり怒ってる声じゃなかったから。
少し聞き耳を立ててみる。
”この子、ノロケてるわよ。”とか、”微笑ましいじゃん。”とか、”彼にここまで気に入られるなんて、本当にあのエネコみたいですね。”とか言っていた。
あのエネコっていうのは、シュウの思い出のエネコのことよね。
やっぱり、そのエネコもシュウに色々してもらっていたんだろうか。
わたしよりもっと彼に親切にしてもらったりして。
彼も優しく微笑んであげたりして。
……シュウはわたしのこと好きって言ってくれたけど、やっぱりどっちが好きか聞きたかった。
でも、あのエネコの方が好きって言われたらショックかも。
逆に、君の方が好きだよって言われたら幸せなんだろうな。
……言ってほしいな、君が一番好きだよって。
気が付いたら、ロゼリアがわたしの顔をじっと覗き込んでいた。
”救いようが無いわね、あなた。”
「どういう意味?」
”言わなきゃ分からない?”
「シュウと同じようなこと言うのね。」
ロゼリアはがっくりうなだれた。
”何でもあの人に結びつけるのね、あなた。”
やっぱりダメだわ、ホントに救いようが無いわ、何でこんなことになっちゃってるのとかブツブツ言っている。
そのままずっとブツブツ言ってたから、他の3人を見てみると、今度は3人で固まって話し込んでいた。
しばらくの間、みんなブツブツ言ってたから、わたしはみんなのブツブツが終わるまで放っておかれてしまった。
ロゼリアがポスンとわたしの膝に頭を預けた。
「ロゼリア?」
”ちょっと疲れちゃったわ。寝かせてもらうわね。”
「ええっ!?もうちょっとお話ししようよー。」
”あなたのノロケ話でもうおなかいっぱいよ。”
ロゼリアはとろりと目を閉じる。
”最近、暖かくなってきたと思ったら、寒さがぶり返してきたりして、夜あまり眠れないの。だから、昼間の暖かい時に眠らせてちょうだい。”
そっか、それだったら、あんまり起きていてって頼むのも悪いかな。
眠れないのって辛いもんね。
「そうだ、ロゼリア!」
いいことを思いついた。
”何よ……。”
ロゼリアが面倒くさそうに目を開ける。
わたしはロゼリアを抱き上げた。
「よく眠れるおまじないしてあげるね。」
ワケが分からないという顔をするロゼリアに笑いかける。
「シュウが教えてくれたの。よく効くわよ。」
そのままロゼリアの顔に唇を近づけた時、悲劇は起きた。
”きゃああああああっ!!”
ロゼリアがはなびらのまいで風を巻き起こす。
ロゼリアの真正面にいたわたしはもちろん直撃。
背中をモモンの木に打ち付けてしまった。
「いたたたた……いきなり何するのよ、ロゼリア。」
”それはこっちのセリフよ!”
わたしの手から飛び降りたロゼリアがビシッとわたしを指す。
”何がおまじないよ!わたしはそんな趣味ないわよ!”
「そんな趣味……?」
わたしは首を傾げながら身を起こす。
「このおまじない、何か変だった?」
”変なんてものじゃないわよ!”
ロゼリアの言葉に、他の三人もうんうんと頷いている。
”あなた、自分が何しようとしたか分かってるの!?”
「よく眠れるおまじない。」
みんなは揃ってズッこけた。
”あ、ありがたく気持ちだけ受け取っておくわ……。”
ロゼリアはよろよろ起き上がって引きつった笑顔で言う。
すぐにくるっと背を向けて、また4人で話し出した。
今回は聞こうと思わなくても聞こえてくる。
みんな大声だし、手振り身振りまで大きくなってるから。
”何なのよ、あの子!自分が何やってるのかちっとも分かってないじゃない!”
”シュウさんにおまじないって言われて信じ込んでるんですよ。”
”あの人を信じるにも程があるわよ!”
”あの殺ポケモン的なノロケもシュウさんのせいでしょ?シュウさんが色々するから。それをただの同居人に対する好意と受け取るこの子も凄いけどね。”
”つまり、全部あの人のせいなのね!?”
”姉さん、飛躍しすぎ。”
”あの人のせいでしょ!そりゃ最初はあのエネコと重ねて見てたかもしれないわよ!でも今は違うっていうのをどうしてこの子に言わないのよ!?”
”キレちゃって求愛したのはいいけど、正気に戻ってやっぱり嫌われたくないって思ったんじゃないの?”
「ロゼリア、眠らないの?」
”眠気なんて吹っ飛んだわよ!ちょっと黙ってて!”
「……はい。」
よく眠れるおまじないで眠気が吹き飛んだってどうしてだろう。
考えているわたしにお構いなしで、ロゼリア達は話し続けた。
”キレなきゃ求愛できないっていうのがそもそもダメなのよ!あの人、押しが弱いにも程があるわよ!情けなくて頭痛がするわ!”
”姉さん、言いすぎ。”
”違うって言うの!?”
”ぼくは的のど真ん中だと思うよ。”
”でも、キレて求愛したって決まったわけじゃないですよね?”
”いいえ!そうに決まってるわ!あの人、あのエネコとこの子を重ね過ぎてたのよ!それで、ある日突然違うと気付いたの!あのエネコとこの子の決定的な違いに!”
「わたしとシュウのお気に入りのエネコの違いって何?」
”黙っててって言ったでしょ!?”
「……はい。」
聞きたいけど、ロゼリアの剣幕は口を挟めるようなものじゃなかった。
みんなはわたしを無視してさらに話し続ける。
”気付いたら後は簡単!求愛するしかないわね!”
”姉さん、話作りすぎ。”
”じゃあ、これよりも信憑性のあるシナリオ言ってみなさいよ!”
”姉さんの話が一番しっくりくるけどなぁ。シュウさんがカッコ悪くて見てられないくらい優柔不断っていうのは周知の事実だし。”
「……シュウはカッコいいよ?」
”それは分かったから黙ってなさい!っていうかまたノロケ!?何なの、この子!”
モモンの木にもたれて、ますますヒートアップしていくみんなの後姿をぼんやり眺める。
”とにかく、この子にさらなる求愛が出来ないあの人が全部悪いのよ!だから、この子はおまじないなんて嘘を信じたままなの!”
”確かに、その話が正しくなくても、シュウさんが求愛したにも関わらず、その後何のモーションもかけていないというのは窺えますね。”
”でしょ!?早くどうにかしないと、こっちの被害がどんどん大きくなるわよ!”
”どうにかするとしたら、この子の方だと思うなぁ。この子、自分がシュウさんをどう思ってるかちゃんと分かってないでしょ?好きだっていうのは分かるけどさ、その好きの種類。”
”それよ!あの人をどうにかするより、この子にあの人を誘わせればいいのよ!そしたらあの人も動くはず!”
”姉さん、張り切りすぎ。”
”うるさいわね、さっきから!これ以上の案があるなら言ってみなさいよ!”
”その案が一番だと思うよ。元々ぼくの出した案だしね。”
”でしょ!?この子をどうにかしてあの人を動かすのよ!みんな、いいわね!”
おーっ!と4人が声を揃えるのをわたしは半分眠りながら聞いていた。