新緑の森のダンジョン 13
「ハルカ!目を開けてくれ、ハルカ!」
気を失ってグッタリしているハルカを抱き起こす。
必死で呼びかけてもハルカは目を覚まさない。
時折、白い首輪からバチバチと耳障りな音がするだけだった。
「ハルカに何をした……?」
膝をついたまま、ハーリーさんの顔を睨みつける。
ハーリーさんは楽しそうに身をくねらせた。
「やーん!そんな怖い顔されると、ハーリー困っちゃうー!」
「ハルカに何をした!?」
ポケモン達も飛びかかる寸前だ。
ハーリーさんはニヤリと大きく顔を歪める。
「そんなに知りたきゃ教えてあげるわ!その子の体に高圧電流流しただけよ!」
「なっ……!」
一歩間違えたら、ハルカが死ぬかもしれないようなことをやったのいうのか……?
「何てことを……!」
「あーら、自分はその子にもっと酷いことやってたじゃない!それを棚に上げて、ちょっと電流流しただけでそんなに怒るなんて!」
ハーリーさんはもう愛想の良い顔をしていない。
彼本来の捻じ曲がった性根が表に出ていた。
「エネコからいきなり人間に変わった時は驚いたわ。アンタの理論がそこまで飛躍するなんて誰も考えてなかった。でも、大成功には間違いなかったわ。アタシも一気に昇進よ。」
ハーリーさんは今までのことをぶちまけるように語りだした。
「でも、研究はそこでストップ。だってその子、人間になっていきなり喋り出したんだけど、一言目が何だったと思う?『彼はどこ?』よ。可愛がってたアンタがいないせいで、アタシ達の言うことなんかその子は一切聞かなかった。記憶を失ってもね。」
記憶を失った?
ハーリーさんは記憶を失ったハルカに接したことがあるのか?
だったら、ぼくに出会った時のハルカは記憶を二重に失ってた……?
「アタシ達には兵器の耐久テストくらいしか出来なかった。その子が記憶を失ったのは人工的に発生させた雷を直撃させた時。そうしたら、アンタのことも全部綺麗サッパリ忘れたから、ようやく命令できると思ったのに、やっぱり言うこと聞かなかったわ。」
ハーリーさんはその時のことを思い出したのか、頬に手を当ててため息をつく。
でも、そんなことはどうでも良かった。
「じゃあ、ハルカがあれだけ雷を怖がるのは……。」
「あら、記憶喪失のクセに、そんなことは覚えてたのね、トラウマとして。」
雷に怯え切って泣いていたハルカを思い出す。
その震えもぼくの手に戻ってきているような気がして、ぼくはハルカの体を抱きしめた。
でも、震えていたのはぼくだった。
「その子、どうも高圧電流の種類によって記憶を失ったり取り戻したりするらしいのよね。アタシ達が調べられたのはここまで。」
ハーリーさんはぼくを見下ろしてニヤリと笑う。
「ここから先はシュウ博士の出番よ。ハルカちゃんもアンタの言うことなら聞くわ。」
「誰がこんなことに……ハルカを苦しめるようなことに協力するものか!」
フライゴンが我慢できなくなったように、ハーリーさんに向かって炎を吐いた。
ハーリーさんはそれを軽く避けると、持っていたスイッチをかざした。
「いいのかしら?このスイッチは首輪から高圧電流を流すだけじゃなくて、首輪を爆発させることも出来るのよ。間違えて押しちゃったらどうしようかしらー。」
「くっ……!」
フライゴンが他のポケモン達に押し留められている。
他のポケモン達もハーリーさんを攻撃したくてたまらないはずだ。
でも、それを聞いてしまったら、いくら攻撃したくても出来ない。
ハルカを人質に取られてしまった。
もうぼくは逆らえない。
ぼくの絶望をハーリーさんは感じ取ったようだった。
「でもね、タダとは言わないわ。何だかんだ言っても、約束破ってこうやって会いに来たのはアタシの方だものね。」
突然、ハーリーさんの愛想が良くなった。
「その子を記憶を全部奪ってシュウ君に見つけさせたのは、もうどうにもならなくなっちゃったから。上は早く次の研究成果を出せってせっついてくるし、何とか時間を稼がなきゃいけなかったのよ。『現在新たな環境で観察中なので、もう少し経過を見てから。』ってね。」
「ぼく達をずっと監視してたのか……。」
「人工衛星でね。人間に監視させると勘付かれかねないから。」
ハーリーさんは空を指差す。
「でも、その成果は期待以上だった。声は聞こえないけど、映像だけでも十分ハルカがシュウ君の言うことを聞いてるのは分かったわ。でも、それよりもシュウ君がハルカに骨抜きにされていく方が面白かったわね。」
その指でぼくを差した。
「ハルカはシュウ君の弱点になった。シュウ君の言うことを聞くだけでなく、シュウ君に何でも言うことを聞かせられる存在になったのよ。」
そして、ハルカの白い首輪を。
「そんな存在の命を握っているのはアタシ。アタシこそが二人に命令できる一番強い存在よ。」
ハーリーさんはその指でスイッチをトントンとつつく。
「シュウ君、戻ってきてくれるわね。」
「……。」
ぼくはハルカを抱きしめたまま俯いた。
戻りたくない、あんな所にはもう二度と。
ポケモン達を実験材料にして苦しめるような人間に戻りたくない。
そして、今戻ったら、ぼくが一番苦しめることになるのはハルカだ。
ハルカはあのエネコだったのに。
でも、戻らないとハルカが殺されてしまう。
ハーリーさんは元ポケモンのハルカの命なんて何とも思わずに握りつぶすだろう。
協力すればハルカを実験材料にすることになる。
協力しなければハルカは死んでしまう。
ぼくはどうすればいいんだ……。
「そーんなに悩まなくてもいいのよ、シュウ君。」
ハーリーさんは苦味のある砂糖のような声でぼくに言った。
「約束破ったのはこっちなんだから、それなりの譲歩はするわよ。アタシがシュウ君の報酬として考えてるのはハルカよ。」
「えっ……。」
どういうことだ?
顔を上げたぼくにハーリーさんは機嫌良く言う。
「シュウ君が戻って来てくれるならハルカをあげるわ。唯一の成功例を手放すのは惜しいけど、シュウ君が復帰してくれたら、その程度の兵器なんて量産も不可能じゃないし。」
ハーリーさんはスイッチをぼくに見せ付ける。
「もちろん、シュウ君が裏切らないようにこれは渡してあげられないけど。あ、言っとくけど、このスイッチ壊しても、その首輪は外せないから。研究所にある鍵だけよ、外せるの。だから、そこのアブソルによく言っておいてね。そんなことしても無駄よって。」
先程までフライゴンを抑えていたアブソルが今度は飛びかかろうとしていた。
「アタシの一番の目的は昇進よ。ゆくゆくは組織を乗っ取るわ。だからこそ、ハルカを手放してでもシュウ君には戻ってきてほしいの。短期的な成功に飛びつくよりも、長期的な発展をってね。」
ハーリーさんは宣言するように言った。
「これはビジネスよ、シュウ君。アタシはハルカをアンタに投資するわ。アンタはハルカを受け取る代わりにアタシの期待に応えてちょうだい。」
ぼくは呆然としていた。
ポケモン達をまた苦しめるような人間になるのは絶対に嫌だ。
でも、この条件を呑んだらハルカを実験材料にしなくてもいいし、なおかつハルカを失わなくてすむのか……?
ハルカの体をぎゅっと抱きしめる。
ぼくの一番大切なもの。
ぼくが初めて愛しく思ったもの。
そしてハルカを愛しいと思う、そんな自分を初めて好きになれた。
この温もりを失いたくない。
でも、また自分を嫌いになるようなことをするのか……?
「シュウ君も色々考えることがあるでしょうから、少し時間をあげるわ。」
顔を上げると、ハーリーさんがぼくに背を向けるところだった。
「3日よ。3日後にまた来るわ。ああ、変なことしないようにね。アタシはこの森から出てすぐの町にいるから、シュウ君が何かしたらすぐに飛んでくるわよ。」
ハーリーさんがモンスターボールを取り出して飛行タイプのポケモンを出す。
「じゃあね、シュウ君。良い返事を期待してるわ。」
ハーリーさんはひらひらと手を振って空高く去っていった。
ぼく達はただその後姿を見送るしかできなかった。
ハルカをぼくのベッドに寝かせる。
ぼくは枕元に椅子を持ってきて座った。
眠っているハルカの頬に手を当てる。
ハルカ……。
「ごめん……。」
何に対して謝っているのか、自分でも分からない。
ぼくの正体を隠していたこと、昔の君を苦しめたこと、そして今の君を苦しめていること。
謝ることが多すぎた。
「ハルカ……、ぼくは酷い人間なんだよ。本当は君に愛してもらう資格なんか欠片もない。」
ぼくはポツリポツリと眠っているハルカに懺悔していた。
ハルカが聞いているはずないのだけれど、言わずにはいられなかったから。
ぼくは森で暮らすようになる前は科学者だった。
真っ当な科学者じゃない、ポケモンを悪事に利用するような組織に身を置いていた。
どうしてそんな所にいたのか分からない。
物心ついた頃からその組織で教育を受けていた。
ぼくはそこで組織をもっと大きくするための研究をさせられていた。
何でもいい、とにかく組織の力を強める物を開発すること。
ぼくはポケモンに目をつけた。
ポケモンは人間を遥かに超える可能性を秘めている。
身体能力の高いポケモン、予知能力を持つポケモン、コンピューターを超える頭脳を持つポケモン。
ぼくはそのポケモンを兵器として改良する計画を発案した。
兵器……今思うと、どうして自分がそんな恐ろしいことを考えられたのか分からない。
その時だって、こんなことは間違ってると思っていた。
ぼくはポケモンが嫌いじゃなかったし、ポケモンにだって心があることも理解していた。
でも、組織で生きていくには常に研究を続けるしかなかったから。
その頃のぼくは組織から抜けて生きていこうとする覚悟なんて持っていなかったから。
ぼくは研究と実験を続けた。
数え切れない程のポケモンがその犠牲になった。
その中で決まった研究の方向は、ポケモンを頭脳戦に活用しようということ。
どんなに強いポケモンでも一体では限界がある。
何より、武力なら人間はいくらでも作り出せる。
頭脳はそうじゃない。
人間に人間を超えることは出来ない。
だったら、ポケモンは?
ポケモンなら人間を超える頭脳を持てるのではないか?
今の人間は生活の全てをコンピューターに頼りきっている。
そのコンピューターに人間では絶対に退治できないほど強力なウイルスを感染させたら、一つの都市、一つの国はいとも簡単に落ちるだろう。
武力を一切使わなくても全てを掌握できる。
人間の作ったウイルスなら、いつかは人間にワクチンプログラムを作られる。
でも、人間を超えるポケモンが作ったウイルスなら?
相手方にも同レベルの頭脳を持つポケモンがいなければ、絶対に対抗できない。
組織は敵対する組織のコンピューターを破壊することで、いくらでも大きくなれるだろう。
そして、世界を裏から操作することだって出来るかもしれない。
研究の方向が決定してからぼくが最初に目をつけたのはフーディン。
IQ5000を誇るエスパーポケモン。
でも、フーディンではダメだった。
計算力はあるけど、ただそれだけだった。
計算力を何にも応用できなかった。
ぼくが目指したのは、人間と同じ思考を持ちながら人間を超える存在。
人間と同様の創造力を持ちながら、人間が創り出す以上のものを創り出せるモノ。
全てを人間に近づけ、全ての面で人間を凌駕させる。
その目標に見合うポケモンを見つけるため、また多くのポケモンが犠牲になった。
頭脳を強化しようとしたら、どうしても肉体とのバランスが取れなくなってしまうから、肉体までも強化して。
そんなことをしたら死んでしまうかもしれないということだって分かっていたのに。
でも、ぼくは研究を続けていった。
もうこれ以上は無理なのではないかと思い始めた時に出会った小さなエネコ。
ほんの気まぐれでそのエネコを研究の対象にしてみたら、驚く程の成果が得られた。
ぼくは実験を重ねた。
劇薬と呼ばれる薬物を何種類も投与したり、危険な手術を繰り返したり。
その痛みと副作用は相当なものだったはずなのに……あのエネコはぼくが傍に行くといつも喜んでいた。
ぼくの手に擦り寄ってきて、檻から出してやるとぼくの周りを駆け回って。
おどけた仕草で尻尾を追い掛け回しては目を回す。
ぼくの白衣の裾を口で引っ張って遊ぼうと誘ってくる。
可愛かった。
ぼくはそのエネコと一日中過ごしていた。
こっそり外に連れていってやったりもした。
エネコはとても喜んでいた。
嬉しかった、そんなエネコを見るのが。
ぼくはそのエネコを実験材料にするのがだんだん辛くなってきた。
今までだってポケモンを研究に利用するのは辛かった。
でも、その辛さとは比べ物にならなかった。
そのエネコは無条件でぼくを慕ってくれているのに、ぼくはその信頼を裏切り続けている。
辛かった、笑ってるエネコを見るのが。
だから、ぼくはその笑顔に背を向けた。
ぼくは組織を抜けたいと上に申請した。
もちろん、研究の中心であるぼくを組織が簡単に手放すはずがない。
だから、ぼくは組織にぼくの研究の全てを譲り渡すという条件を出した。
組織はぼくしか知らないデータを手に入れられることに喜んで、ぼくの離脱を認めた。
データさえあれば組織は研究を続けられるから。
その研究こそがエネコを苦しめるものだと十分理解していたのに。
ぼくがいなくなった後も、組織はエネコを苦しめ続けると知っていたのに。
エネコはぼくの研究に囚われたままだと分かっていたのに。
ぼくはエネコから逃げ出した。
「なのに、君はぼくを追いかけてきたんだね……。」
力なく横たわっているハルカの手を握る。
「ぼくがいなくなってもぼくのことを忘れずに……。組織の言うことさえ聞いていれば、君は今ほど苦しまなくて済んだかもしれないのに……。」
指を絡ませ、解けぬように。
「どうして、君はあれだけ酷いことをされても、ぼくを好きでいたんだろうね……。その前に、君はどうしてぼくを好きになったんだろうか……。」
手の平を合わせる。
「どうして君はぼくの前に現れたりしたんだい?どうして君はぼくを見て笑っていられたんだい?どうして君は――。」
ハルカの手はこんな時でも温かかった。
「ぼくを愛したりしたんだい……?」
もうぼくは君から逃げられない。
君を愛する喜びを知ってしまった、君に愛される幸せを感じてしまった。
もう手放せない。
どれほど苦しむことになっても。
「ハルカ……。」
ぼくはハルカの手を額に押し付けた。
それから2日。
ハルカは一向に目を覚まさなかった。
ぼくはずっとハルカの傍にいて、ハルカが目を開けるのを待った。
ポケモン達がぼくを心配しているのが分かる。
ぼくが何も食べずに一睡もしないままずっとハルカの傍にいるから。
今もロゼリアが椅子に座ったぼくの服を引いている。
少しだけ視線を落とすと、木の実を盛った皿を差し出してきた。
「いや、いい……。」
食べたくない。
ハルカが目を覚ますまで何も喉を通りそうにない。
ぼくが断ると、ロゼリアは悲しそうに俯いた。
それでも、何かを思いついたように部屋から出て行く。
しばらくすると、また木の実を皿に盛ってやって来た。
「モモン……?」
ハルカの好きな木の実だった。
「これならぼくも食べられるって思ってるのかい……?」
ロゼリアは頷く。
その気持ちが嬉しくて、ぼくは一つだけモモンの実を手に取った。
「ありがとう、ロゼリア……。」
モモンはとても甘かった。
はっと目が覚めた。
いつの間にかベッドにもたれて眠っていた。
やはり、2日も寝てないと体に負担がかかるらしい。
意識が飛んでいた。
ザアザアと音が聞こえてくる。
窓の外は大雨だった。
大粒の雨が地面や家の屋根に打ち付けられ激しい音がする。
そんな雨にも全く気付かないほど寝入っていたらしい。
どれくらい経ったんだ……?
ぼくはベッドにもたせかけていた体を起こす。
そこで気付いた。
ぼくの体に掛けられていたシーツに。
そのシーツにくるまって眠っていた存在はもうベッドの上にいない。
「ハルカ!?」
ぼくは部屋を飛び出した。