夜の学園
この世界のどこかにはホグワーツ城という城がある。
魔法が使えない人間たち、マグルから見るとただの崩れかけた城だが、それは魔法によってそう見えるだけ。
ホグワーツ城の本当の姿は魔法族にしか分からない。
天に幾本もの塔を突き上げそびえ立つその姿は荘厳そのもの。
森や湖に囲まれた広大な敷地には魔法の練習場やフクロウ小屋、薬草畑など、さまざまな施設が存在する。
そんなホグワーツ城の役目は魔法使いの卵たちを孵すこと。
それにふさわしく、ホグワーツ城は恐ろしいもの、悪いものから生徒たちを守ろうと堂々と力強く立っている。
しかし、親の心子知らずとはよく言ったもので。
ホグワーツ城は今夜も怖いもの知らずの生徒で賑わっていた。
「肝試し大会したいかもー。」
監督生ミーティング中の会議室。
向かいのソファーから放たれた言葉、それに対してすぐに冷静なツッコミを入れる。
「却下。」
「ちょっと待ちなさいよ、シュウ!考えてくれたっていいじゃない!」
「考えなくたって分かる。夜中に出歩くのは校則違反だ。」
「でも、夜中じゃないと肝試しにならないじゃない。」
「だから却下なんだよ。」
肝試し発言をした少女はうーっと猫のように唸る。
少女はグリフィンドール監督生、ハルカ。
監督生とは、他の生徒たちが学園生活を快適に送れるよう校長から任命される名誉ある職種である。
成績が優秀な者や人望のある者で、しかも各寮2名ずつしか選ばれない。
それに加え、近年は生徒の自治が高まってきたことで、監督生の権限も増してきている。
その責任ある仕事のため、監督生たちは毎晩会合を開き、話し合いを行っていた。
「何か面白いことしたい……。」
しかしである。
他の生徒の模範となるのが監督生の役目だが、それは彼女にはあまり当てはまらないようだった。
「君ね……。」
シュウはため息をつく。
「確かに今話し合っているのは、”学園生活をもっと楽しむためにやりたいイベント案”だけど、校則の範囲内に決まってるだろう?」
「でも、それじゃつまんないかも。昼間だったら寮対抗魔法大会とかもういっぱい面白いものあるし。」
「それはそうだよなー。」
右隣のソファーからの発言にシュウは内心頭を抱える。
「シュウは固すぎなんだよ。ちょっとくらいいいじゃん。」
「サトシ、話分かるー!」
ハルカが嬉しそうに笑顔を向けているのはハッフルパフ監督生のサトシ。
勇気を重んじるグリフィンドールの生徒と、努力が売りのハッフルパフの生徒は昔から仲が良かった。
特に、勇気と無謀が同居しているハルカと、努力家だが熱血バカのサトシはまるで兄妹のようである。
恋人に近しい男の存在、そこはシュウの嫉妬を煽るのだが。
「サトシ、ダメに決まってるでしょ!」
本格的に嫉妬しないのは、サトシに彼女がいるからである。
「サトシ、あんたね、もうちょっと考えなさいよ!先生に見つかったらどうするの!?」
もう一人のハッフルパフ監督生、カスミ。
しっかり者で、サトシの暴走をいつも食い止めてくれる、頼りになる姉御肌の少女である。
しかし。
「カスミは怖がりだからやりたくないんだよな。」
「誰が怖がりですってぇ!?いいじゃない、やってやるわよ!」
サトシの悪気のない挑発にすぐに乗ってしまうのが難点だった。
「まあ、監督生が校則を破るのもどうかと思うけど、先生に見つかるのは怖いよね。」
今度は左隣からの発言。
知恵を重んじるレイブンクローの発言は穏健で良い。
シュウは頷きながら左を向いた。
「君なら止めてくれると思っていたよ、キミマロ君。」
「まあ、リスクが高すぎるからね。」
キミマロという少年は大人しい性格をしているが、芯があっていざというときこそ頼りになる。
特に、キミマロの発言は柔らかいため、聞いている方も頭ごなしに言われるより心が傾きやすいのだ。
心強い味方を得て、シュウは畳みかけようと前を向く。
「だーいじょうぶ!」
しかし、もう一人のレイブンクロー監督生がそれを頓挫させる。
「先生だって夜中は寝てるから!見回りのおじさんも同じルートしか通らないし!」
「ヒカリも一緒に肝試ししてくれるの?」
「当然!」
「わーい、嬉しいかもー!」
この少女の「大丈夫」発言が大丈夫だったことなどほとんど無い。
「ちょ、ちょっとヒカリちゃん……、それはマズイって……。」
キミマロが何とか押し留めようとしているが、得意の「だーいじょうぶ!」で吹き飛ばされかけている。
加えて。
「キミマロ君だってホントはみんなと遊びたいんでしょ?本音、聞かせてほしいかもー。」
「本音?」
ハルカの発言にごそごそローブを探るキミマロ。
やがて、おもむろに取り出されたのは不気味な赤い目の仮面。
「はーっはっはっは!君達、校則なんかに縛られて楽しい学園生活が送れるとでも思っているのかい!?」
「キ、キミマロ君、落ち着いて……。」
「シュウ君、恐れることは無い!先生を誤魔化すことなんてこのファントムには簡単さ!」
「……。」
仮面を付けたキミマロは性格が180度反転する。
いや、実はこっちの方が本性かもしれない……。
次々と味方が消えていく現状にシュウは内心ではなく実際に頭を抱えていた。
「みんな、落ち着きなよ。」
「議長?」
皆がハルカの隣に目を向ける。
静かに皆の話を聞いていたもう一人のグリフィンドール監督生トオイだった。
「校則でどうして夜中に出歩くのが禁じられてるかって考えてみて。」
「う……。」
ハルカが目を逸らす。
「ハルカちゃん。」
「……危険だから。」
「シュウ君もみんなをそんな目に遭わせたくないんだよ。」
ね?と向けられた笑顔に皆も黙り込む。
彼は穏やかで優しいが、言うべきことはきちんと言う。
グリフィンドールとスリザリン、仲の悪い二つの寮がそれでも休戦状態にあるのは間違いなく彼の功績だろう。
粘り強く、双方の生徒達の諍いを解決する。
まさに、勇気ある者しか出来ない行動である。
「……でも、それだったら危険じゃないようにすればいいかも。」
「危険じゃないようにする?」
トオイが首を傾げる。
「うん。最初に回るルート決めておいて、ちゃんと危険なものはわたし達で取り除いて、みんなが楽しめるようにするの。」
「でも、真夜中っていうのは問題があるんじゃ?」
「先生に許可取ってするの。ハロウィンとかだったら、遅くまで起きてても先生達許してくれるから、同じように許してくれるかも。」
「なるほど……。」
トオイが小さく頷く。
「トオイ君、君まで説得されないでくれ……。」
トオイの良いところは相手の話をキチンと聞くところである。
しかし、それが今はシュウにとって最大の脅威となっていた。
監督生の話し合いをまとめる議長までもが賛成に回ってしまっては、シュウがどれだけ反対しても覆らなくなってしまう。
「ハルカ、夜中に沢山の生徒を出歩かせるのは危険極まりない。絶対に賛成できないね。」
「そんなことないかも!やってみなくちゃ分からないわ!」
「もし、取り返しがつかないことにでもなったらどうするつもりだい?」
「そうならないようにわたし達が準備するんでしょ!」
「不慮の事故というのは準備を万端にしていても起きるものだよ。」
低いテーブルを挟んで、ハルカと睨み合う。
議長のトオイを始め、他の監督生達は事態がどう転がるかハラハラしながら見守っていた。
と、そこへ。
「でしたら、私達で検証してみてはいかがですか、シュウ様?」
シュウの横手から声がした。
「ワカナさん?」
もう一人のスリザリン監督生のワカナだった。
「危険だからという理由は最もですが、ただそれだけではどんなイベントも出来ませんわ。」
「それはそうだけど、でも――。」
「校則にだって意味の分からないものはありますし。どうして夜出歩いてはいけないんでしょう。」
「それは危険だからで……。」
「魔法使いを志す者が危険だから夜出歩けないというのはどうなんでしょう?本末転倒ですわ。」
「……。」
このワカナという少女は手強い。
和と礼儀を重んじ、物事を理論立てて整理して事を進める。
野望を掲げるスリザリンの監督生とは思えないほどに正々堂々とした少女である。
「ワカナも賛成してくれるの?」
ハルカが嬉しそうにワカナの方に身を乗り出す。
スリザリン監督生の内、一人でも味方に回れば、スリザリンの票はハルカに渡ったも同じ。
シュウはそう考え、牽制に回ろうと口を開く。
「いいえ。」
しかし、シュウよりも早くワカナが否定の言葉を口にした。
勢い込んでいたハルカがしぼんだ風船のように元気を無くす。
「ワカナ、どうして賛成してくれないの?」
「危険が無いかどうか確かめてみないと賛成しようが無いじゃありませんか。」
「え……。」
「危険を取り除こうにも、何が危険なのかどうか分からないと取り除きようがありませんし。」
「そ、それはまあ……。」
「それに、危険じゃないと分かっても、あまり怖すぎるのも賛成できませんわ。下級生だとトラウマになってしまうでしょうし。」
「た、確かに……。」
「だから、私達で検証してみましょう。」
「どうやって?」
ハルカの疑問にワカナは満面の笑みを浮かべる。
「私達だけでまず肝試しをしてみるんです。」
「わあ!面白そう!」
「ワカナさん、ちょっと待つんだ!」
シュウは慌てて止める。
聞いている内に、何故か肝試し大会が開催されそうになっている。
ここで食い止めないとなし崩し的に話がまとまってしまう。
「シュウ様、落ち着いてください。だからこその検証なんですから。」
ワカナの満面の笑みは変わらない。
「もちろん、検証段階ですから先生には黙ってしますけど。それでも結構参考になると思いますよ。」
そういう問題ではないのだ。
もし、検証が上手くいってしまったらと思うと、本気で頭痛がしてくる。
「それ、何だか面白そうね。」
他の監督生達もワカナの話に耳を傾けているのがさらに頭痛を酷くする。
「はい、皆さんにもご協力いただけますか?」
「もちろんだぜ!」
サトシが代表して拳を握った。
「では、ルールを説明します。ここにいる8人の内、ハルカさん以外はみんな脅かす役ということで。」
「へ……?」
シュウも含めて、皆の目が点になる。
「実際に開催するとなると、私達は裏方になりますからその予行練習です。ただ、それだと脅かされる方の気持ちが分からないので言いだしっぺのハルカさんにしてもらおうかと。」
「そ、そうなんだけど、ワカナぁ……。」
さすがに一人は怖いのか、ハルカが上目づかいにワカナを見上げる。
しかし、もちろん、ワカナの笑顔は変わらない。
「それから、怖すぎるかどうかの判定について。ハルカさんが私達の作り上げた数々の恐怖に打ち勝てるかどうか。」
「ひ、ひえ……。」
「泣いたら負けですよ、ハルカさん。」
「ワ、ワカナぁ……。」
「ハルカさん、肝試しで何が一番面白いかご存じですか?」
「な、何……?」
「オバケ役になって、やってくる人を脅かすことなんですよ。その人が泣いて謝るまで。」
「ワカナ、わたし達、友達だよね……?」
「はい。」
ワカナの満面の笑みがさらに深くなった。
「ハルカさん、大好きですよ。大好きなハルカさんを憧れのシュウ様と協力して脅かすなんて素晴らしいじゃありませんか。」
「だ、誰か助けて……。」
ハルカが周りを縋るように見る。
「ハルカちゃん、頑張ってね。」
「ハルカ、水で出来たオバケなんて素敵だと思わない?」
「覚悟しとけよ、ハルカ!すっげぇ怖いオバケになって泣かせてやるからな!」
「はーっはっはっは!ハルカ君、恐怖の夜の始まりだよ!」
「だーいじょうぶ!ハルカが気絶するくらいのオバケを作り出すくらい簡単だから!」
「ひええ……。」
最後に視線を向けられたシュウはワカナと同じ満面の笑みを浮かべた。
隣でニコニコ笑っている少女、さすがは曲者揃いのスリザリン生をまとめる監督生だけある。
手段を選ばず、欲しいものを得ようとするところなど、スリザリンに相応しい。
まあ、肝試しで得られるかどうかは別だが。
「君のまいた種だ。せいぜい楽しませてくれよ。」
シュウの目の前でハルカがガックリとうなだれた。
「ふええ……、真っ暗だよぅ……。」
ホグワーツ城の暗い廊下。
果てしなく長く広いその空間は足音すら飲み込んでいく。
ハルカはビクつきながら恐る恐る足を前に運んでいた。
会議室を出たのはつい先程。
ミーティングの後、皆は作戦会議と称してハルカを会議室に一人残し、どこかへ行ってしまった。
独りぼっちの空間は否が応でも恐怖を煽り立てる。
ソファーで震えながらどれだけ待っただろうか。
ドアがガチャリと音を立てた。
「ひゃあっ!」
ソファーからずり落ちながらも勇気を振り絞ってドアの方を向く。
半透明の白い物がふわふわ浮かんでいた。
「ふ、ふえ……。」
現時点でもう泣きそうである。
「あ、あれ?」
しかし、その白い物の正体に気づいた時、ハルカはそれが恐れる必要が無いどころか、味方になってくれるかもしれない存在だと気づいた。
「フライゴン!」
フライゴンとはシュウの創り出した守護霊である。
守護霊は、恐怖の代名詞とも言える吸魂鬼を追い払うことの出来る唯一の魔法。
希望や勇気といった正の感情で出来た力強い盾である。
人によってその魔法の姿は様々だが、シュウの守護霊はドラゴンのような外見をしているため、愛称でフライゴンと呼んでいるのだ。
シュウはあんなこと言ってたけど、やっぱり味方になってくれるんだ。
ハルカは弾むようにフライゴンに駆け寄る。
フライゴンはくわえていた手紙をハルカに差し出した。
「え、シュウから?」
頷くフライゴン。
ハルカは急いで封を切り、中の手紙を取り出す。
ハルカへ
肝試しの詳細が決まったよ。
君の今いるのが監督生棟の会議室。
そこから出て執務室までおいで。
同じ棟だし出来るだろう?
出来ないんだったらフライゴンについていくといい。
ぼく達のところまで案内してくれるよ。
もちろん、それは君の負けを意味するけどね。
まあ、ここまで言われたら、君もこの挑戦を受けずにはいられないだろうけど。
君の健闘を祈っているよ。
追伸:健闘むなしく散っていくシーンは是非ぼくの前で見せてほしいね。
「な、何なの、この手紙ーっ!」
ハルカは手紙を握りつぶす。
やはり、あのシュウを味方だと思ったのが間違いだった。
意地が悪いにも程がある。
フライゴンを見ると、守護霊には意志が無いはずなのに、何だかニヤニヤ笑っているように見えた。
きっと、創造主のシュウの心が映っているのだ。
「フライゴン、帰っていいわよ。」
ハルカはキッパリ言い切る。
彼の手紙ではないが、ここまで言われては引き下がれない。
フライゴンは羽ばたいて部屋を出て行った。
そんなわけで、ハルカは一人で廊下を歩いているのだが。
「うう、怖いよぅ……。」
やはり、怖いものは怖い。
彼の手紙にあった会議室から執務室へのルートを頭に思い描く。
会議室や執務室というのは監督生達の仕事の場である。
監督生達は広い城の一角を与えられ、そこで話し合いを行ったり、くつろいだりしている。
そこが監督生棟と呼ばれているのだが。
「うう、広いよぅ……。」
執務室なんてすぐなのに、今はいつまで経っても着かないんじゃないかという錯覚まで起こる。
執務室は会議室と階が違う。
つまり、まず会議室から階段まで歩いて行って、そこからまた暗い廊下を執務室まで歩き続けなければいけない。
まだ会議室を出てそんなに経っていないのに、ハルカはもう半泣きである。
「でも……わたし、負けない!」
逆境になればなるほど力を発揮するのがハルカである。
シュウを見返すという目標が加われば尚更。
「絶対勝ってやるんだから!」
ハルカは廊下を走りだす。
しかし、いくらも行かない内に壁にぶつかった。
「痛っ!……くない?」
いやに柔らかい壁だった。
ぷにぷにとしていて、妙に生暖かい。
「え……。」
ハルカは恐る恐る杖を取り出す。
「ルーモス!光よ!」
杖の先に明かりが灯る。
それに照らし出されたのは――
「きゃあああああっ!」
巨大なクラゲだった。
ハルカはクラゲが大の苦手である。
幼い頃、海でクラゲに囲まれて溺れかけたのが原因で、今でもクラゲはハルカの怖いものベスト3にランクインしている。
そのクラゲがハルカに向かって幾本もの触手を伸ばしてきた。
「いやーっ!」
ハルカは全力で逃げ出す。
階段とは逆方向だが、そんなことは言っていられない。
ハルカは必死で走る。
クラゲの後ろで誰かの影が次なる指示を出していたことも知らずに。
「ふ、ふえ……。」
相変わらずハルカは暗い廊下を歩いていた。
時間で言えば、会議室と執務室を10往復できてもおかしくないほどだったが、まだハルカはゴールに到着していなかった。
それどころか、さらにゴールから遠のいている。
クラゲからやっと逃げられたと思えば、空中にぼんやりと浮かんでいる赤い目に追いかけられ。
赤い目に追い詰められた先でこれまた空中に浮かぶ沢山の笑う箱に生き埋めにされかけた。
一つ一つの箱の大きさは手のひらサイズだが、その全てが「クケケケケッ!」と不気味に笑うのである。
ハルカは本気で箱に食べられるかと思った。
それでも何とか箱の群れから脱出すると、今度は――
そんないくつもの苦労を連続で切り抜けながら、ハルカは何とかまだ戦っていた。
「ひ、酷いよぅ、みんな……。」
しかし、もうボロボロである。
「みんな、絶対手加減してくれてない……。」
監督生は成績優秀者である場合が多い。
魔法のプロである先生には及ばないが、同年代からすれば脅威の存在だ。
それが7人。
「ふええ……。」
同じ監督生とはいえ、いやだからこそ怖い。
ハルカはもう9割方泣いていた。
しかし、まだ完全には泣いていないと、ハルカもオバケ役達も完全勝利を諦めていない。
最後までどう転ぶか分からない大接戦であった。
「あ。」
ここでハルカはあることに気づく。
「階段、一つじゃなかった……。」
ハルカの今まで思い描いていたルートは執務室までの最短ルート。
かなり遠回りになるが、その階段を使えば、待ち伏せしているはずのクラゲにも遭遇しないし、逃れてきた数々の恐怖とは別の方向から執務室に辿り着ける。
「よーし!そっちから行こうっと!」
ハルカは方向を変える。
希望を見出したことによる気の緩みから背後への警戒を怠ったその一瞬。
「ハールカさん!」
背中に何かが乗っかった。
「ふにゃあああああっ!」
ハルカは絞め殺される猫のような声を上げる。
「そ、そんなに驚かなくてもいいじゃないですかぁ……。」
「ワ、ワカナ……。」
背中から聞こえてくる声は友人の声だった。
「ハルカさん、頑張ってるなぁと思って、ちょっと一緒に行ってあげようかと思ったのに……。」
「じ、じゃあ、何で普通に出てきてくれないの……?」
「それじゃつまらないからですよ。ここでハルカさんが泣いたら私達の勝ちですし、泣かないならそれはそれでハルカさんにおんぶしてもらえるじゃありませんか。」
「こ、怖かったかも……。」
ハルカはドクドクと脈打つ胸に手を当てる。
ワカナは友人だが、それだっていきなり後ろから抱きつかれて驚かないわけが無いのだ。
「さ、ハルカさん、行きましょうか。」
「えっ!このまま!?」
「だって、ハルカさん、背中ガラ空きでしたよ。こうしておけば、私はオバケ側ですから、みんなも後ろからは脅かしてこないでしょう?」
「……お願いします。」
ハルカは歩き出す。
確かに、ワカナの言う通り、後ろに恐怖が無いのは安心する。
ワカナは小さくて軽いから負担もそれほどではないし。
「でも、前から何か出てきたら降りてね。」
「分かってますよ。私をおぶったままだと逃げにくいですもんね。」
ハルカはワカナを背負ったまま、暗い廊下をてくてく歩く。
先程まで怖かった廊下も、誰かがいてくれるだけでここまで恐怖が和らぐものなのかとハルカは驚いた。
「あ、そろそろ階段かも。」
少し行くと、小さな階段が見えてきた。
最初に使おうとしていた階段と違って小さいが、それでも十分用足りる。
ワカナ背負ったままだときついかなぁ、でも降りてもらうのも怖いし……。
そう思っていると。
「わっ!」
「にゃああああああっ!」
階段の陰からの大声に、ハルカは悲鳴を上げた。
「あはは、ハルカさん、引っ掛かりましたねー。」
「あ、あれ、ワカナ……?」
階段の陰から出てきたのはワカナだった。
そう、目の前でニコニコ笑っているのはワカナだ。
「ワ、ワカナ、ずっとここにいた……?」
「はい、ハルカさんは絶対この階段を使うだろうと思ってずっと待ってました!」
「え……。」
ハルカは恐る恐る後ろを振り向く。
後ろにもニッコリと笑っている口。
そう、口だけで、後は何もないのっぺらぼうのワカナがニタリと唇を歪めた。
「うっうっ……あんな魔法反則だよぅ、ワカナ……。」
「よしよし、怖かったですねー、ハルカさん。」
監督生棟の会議室。
スタート地点には肝試し前と同じく8人の監督生が勢ぞろいしていた。
「ハルカ、いい加減泣きやんだらー?」
「ヒカリには分かんないよぅ……ホントに怖かったんだから……。」
「失礼ね、ハルカ。私のメノクラゲちゃんを怖いだなんて。」
「二番目に怖かったかも……。」
「まあ、作るの苦労したんだから、それくらいは怖がってもらわないとね。」
ソファーに座り込んだハルカの頭を少女達がかわるがわる撫でている。
結局、肝試し大会はハルカの惨敗で終わった。
腰を抜かして泣きじゃくるハルカは皆に運ばれて会議室に戻ってきたのである。
「シュウ君、さすがにやりすぎちゃったんじゃない?」
「そう言う割に、君の箱型オバケもなかなかだったけどね、トオイ君。」
「はーっはっはっは!女の子を泣かせるなんてシュウ君は男の風上にも置けないね!」
「キミマロ、お前だって相当ハルカを追い詰めてたじゃないか。」
「君もね、サトシ君!」
「オレはシュウの指示通りに動いただけだぜ。いやー、でも楽しかったなー!」
サトシのその言葉に皆力強く頷く。
「またやりたいなー!」
「いいわね、サトシ!先生の許可取ってきましょ!」
「上手く許可が貰えるでしょうか……。他のみんなを驚かせたいのは山々なんですが……。」
「だーいじょうぶ!こんなに面白いってことが証明されたんだから、先生も喜んで参加してくれるわよ!」
「それまでには箱型オバケをもっと上手く作り出せるようにするよ。今度は合体なんて面白いかもね。」
「大会には是非ファントムを呼んでくれたまえ!喜んで参戦するよ!」
「そのときもまたシュウがリーダーだな!またすっげぇ指示頼むぜー!」
皆の期待を一身に浴びるシュウがハルカに笑みを向ける。
「ハルカ、何か言いたいことは?」
「……ごめんなさい、もう肝試ししたいなんて言わないんで許してほしいかも……。」
ワカナの「泣いて謝るまで」発言はこうして現実となったのだった。