それは深奥にして心奥、避けて通ることは叶わぬもの 7



 









少し泣いて落ち着いたのだろう、ハルカは湯船から雪景色を眺めていた。

サオリはハルカの横顔を眺めながら考える。

ハルカさんは大丈夫、自分で考えてちゃんと行動に移せる子だから。

そして、雪景色ではなく、ハルカの視線の先にあるものについて思う。

むしろ、心配なのはシュウ君の方ね。

何でも一人で決めてしまうから、きっと今回も一人で思いつめてしまうわ。

ハルカとシュウの似ているようで全く違う面が厄介だった。

サオリは二人の間に何があったのか正確には知らない。

当然だろう、いきなり「後は任せた」とハーリーに言われてここまで来ているのだから。

しかし、儚く壊れそうな弱さを見せているハルカを放っておくことはできなかった。

何だかんだ言ってハーリーさんはいい人ね。

突飛な発想で場を引っかき回す彼がサオリは嫌いではなかった。

もっとも、深く関わるよりは遠くで眺めていた方が数倍は面白いのだろうが。

その人騒がせなハーリーがここまでこだわっているのがハルカとシュウの二人。

ハルカさんもシュウ君も魅力的だから。

目を惹きつけて離さない。

ある意味、この二人はステージの上でなくても、スポットライトを浴びているようなものだ。

自ら輝いて、周りの人々を魅了する。

そして、その輝きは二人が一緒にいることでさらに強まる。

だから、それが翳っていることがハーリーは我慢できないのだろう。

本人は絶対に認めないだろうが、二人に魅了された者として。

――それは私も同じね。

サオリは弟のように見守ってきた少年と、その少年がずっと見守ってきた少女が好きだった。

好きという感情は単純であり、だからこそ複雑だ。

好きだからこそ、相手の幸せを願う。

また、好きだからこそ、相手を傷つけてしまうこともある。

好きな人に受け入れられたいと願い、そうして心に踏み込んでしまうから。

もっとも、シュウがそこまで好きになるのはハルカだけなのだろうけど。

傷つけてしまう程に誰かを愛することができるのは、ある意味羨ましいことだとサオリは思う。

傷つくこと自体が不幸なことだとは思わない。

傷ついた心は、それを乗り越えたら、もっと成長するから。

そして、皆を魅了する光をさらに強めるのだ。

でも、今のシュウ君は思いっきり不幸ね。

ハルカとハーリーの様子を見ている限り、シュウはハルカを傷つけたことで自分も傷ついているようだ。

ハルカの傍にいないのが何よりの証拠。

そこまではいい。

問題は、自分の傷ついた心を癒そうとしていないことだ。

心を癒さなければ乗り越えられない。

シュウが乗り越えられなければ、ハルカだけが乗り越えられても意味が無い。

そもそも、この問題は二人で乗り越えるべき問題なのではないだろうか。

二人の輝きは、自分だけが輝いて得られるものではないのだから。

少しシュウ君にもおせっかいした方がいいかしら?

サオリは大きなお世話ということは百も承知で考える。

ハーリーも大きなお世話を実行しているようだが、その効果は芳しくないようだ。

自分がしても、結果は同じかもしれない。

それでも、した方がしないよりは良いように思えた。

ハルカのためだけでなく、自分のためにも。

「気になって仕方ないものね。」

「え?」

思わず口に出した言葉をハルカが聞き取る。

こちらを向いたハルカにサオリは話しかけた。

「ねえ、ハルカさん。シュウ君、熱出して寝込んでるんでしょう?ちゃんと薬は飲んでるの?」

「え、えと多分……。」

ハルカが戸惑ったように答える。

「よく効く薬があるのよ。後でお見舞いも兼ねて持って行っていいかしら?」

「はあ……。」

ハルカは曖昧に返事をする。

自分に直接向けられる心配には敏感でも、元々鈍感なので、サオリがどんな意図で行動しているのか分からないのだ。

そんなハルカにサオリは笑いかける。

「でも、ちゃんと温まってから上がらないと、あなたが風邪を引いてしまうわね。雪の中で座り込むのはいいけど、風邪を引いたら皆がもっと心配するわよ。」

「はい……。」

ハルカは肩まで湯に浸かる。

サオリはそんな素直なハルカを好ましく見つめた。





二人が湯に浸かっていると、人の来る気配がした。

「そろそろ上がりましょうか。」

「はい。」

二人が風呂から上がろうとすると、一人の少女が現れた。

「わあ!これが天然温泉なんですねー!」

「え、あなた……。」

ハルカがその少女の顔を見て何か言いかける。

しかし、少女はそれに気付かず、岩風呂に駆け寄ってきた。

「走ると危な――。」

「きゃあっ!」

サオリが言い終わる前に、少女は落ちていた石鹸を踏んづけた。

大きな水音と水柱を立てて、少女は岩風呂にダイブする。

立ち上がりかけていたハルカを巻き添えにして。





「ハルカさん、本当にごめんなさい!」

「い、いいよ、ワカナ。そんなに謝らなくても……。」

ハルカが苦笑いしながら自分にタックルしてきた少女を宥める。

その少女は、ハルカの友人でコーディネーターであるワカナだった。

「カントーにはあまり温泉が無いから珍しくて……。」

ワカナはしょんぼりと頭を下げる。

放っておいたら、そのまま湯に沈みこんでしまいそうだ。

「え、えと、ワカナもこのホテルに泊まってるの?」

落ち込むワカナを何とか元気づけようと、ハルカは話題を切り替える。

「はい!このホテルの温泉は有名なので!」

「そうだったんだ……。」

そのまま熱く温泉を語りだすワカナにハルカは苦笑を隠せない。

サオリはそんな二人を眺めていたが、自分だけ湯から上がった。

「ハルカさん、私は先に上がるから、久しぶりに会ったお友達とごゆっくり。」

「あ、はい、ありがとうございます!」

サオリは脱衣所へ向かっていった。





「そういうわけでお見舞いに来たわ。」

「何がどういうわけなんですか……。」

ドアを開けたシュウは、サオリの顔を見るなりガックリとうなだれた。

「はい、薬。これは良く効くわよ。」

「ありがとうございます、助かりました。」

シュウは薬を受け取る。

そのままじっとサオリの顔を見ていたが、サオリが満面の笑みを浮かべながら一歩も動かないのを理解してため息をついた。

「……どうぞ。」

「悪いわね、シュウ君。」

サオリは部屋の中に入る。

部屋の中ではシュウのポケモン達が甲斐甲斐しく看病の準備をしていた。

シュウはサオリに椅子を勧める。

そして自分も向かいの椅子に座った。

「ベッドに寝てていいのに。」

「いえ、熱も大分下がりましたし、お客様の前で寝ているわけにも行かないでしょう?」

シュウは肘掛に腕を置いて指を組む。

「それで何の用です?あなたもハーリーさんみたいにおせっかいに来たんですか?」

「ええ、そうよ。」

シュウの皮肉を笑顔で肯定する。

「私はあなた達の間に何があったかは知らないわ。でも、ハルカさんが泣いてばかりなのは困るの。」

「あなたには――。」

「関係ないとは言わせないわよ。」

サオリはシュウの反論を押さえ込んで言う。

「どうせハーリーさんにも同じことを言ったんでしょう?でも、彼も私も関わるのはやめないわ。」

サオリの目が鋭くなる。

コンテストの最中でも余裕を持って笑っているサオリのこんな顔を見るのは初めてだった。

「あなたをおいて、ハルカさんを泣き止ませることが出来る人はいないのに、どうしてあなたはそうしないの?」

「これ以上、彼女を傷つけたくないからです。」

シュウも視線を鋭くして言う。

「それがハルカさんを一番傷つけているのだとしても?」

「違います。一番傷つけるのは、同じ過ちを繰り返したとき。」

「その過ちを繰り返さないという選択肢は?」

「ありません。ぼくは必ず繰り返します。」

ポケモン達はバチバチと飛び散る火花に恐れをなして、部屋から出て行ってしまった。

「もうぼくは彼女を欲することをやめられない。ぼくは変われない。」

シュウのその言葉に、サオリは二人の問題の在り処に気付く。

――なるほどね。

「確かに、それは避けて通れない問題ね。」

サオリは目を細める。

「なら、ハルカさんを変えるという選択肢は?」

「……?」

シュウが怪訝そうな顔をする。

「あなたは変われない。それはそうでしょうね、こんな問題なら。」

サオリはその顔を見据えたまま続ける。

「でも、ハルカさんを変えることはできるでしょう?この問題はそうやって二人で解決するものじゃないの?」

「……できなかったらどうするんです?」

「やりもしない内からよく言えるわね。一足飛びに行動を起こしておきながら。」

サオリの纏うオーラが変わる。

それはハーリーと同じ怒りだった。

「シュウ君、あなたは逃げているだけよ。ハルカさんを泣かせておいて、自分がそれ以上傷つくのが怖いから、そのままハルカさんからも逃げ出して。」

シュウは黙ってサオリの言葉を聞いている。

「相手を傷つけて、自分も傷ついて。そして、自分の傷を癒さないことが相手のためになると思い込んで。とても自分勝手。」

サオリもシュウのように指を組む。

「ハルカさんはもがいて何とか立ち上がろうとしているわ。でも、本当に立ち直れるのはあなたが傍に来た時よ。」

「……だとしても、傍に行ったことでまた傷つけてしまったら?」

「だから、ハルカさんを変えるんでしょう?それに、あなたは違うと言うの?あなたはハルカさん無しで立ち直れるの?」

サオリは椅子から立ち上がった。

「動きなさい、シュウ君。動けたら苦労はしないという言い訳は通用しないわ。」

そのままドアへ向かう。

「もしかしたら、もっとハルカさんを傷つけて、あなたも傷つくかもしれない。それでも、動かないよりずっといいわ。」

傷ついたら傷ついただけ二人の絆は強くなるから。

「覚悟を決めなさい。それだけ彼女を想っているのなら、動かないで血を流し続けるよりも、動いて傷つく覚悟を。」

そこまで言うと、サオリは振り返って微笑んだ。

突然緩んだ空気に、シュウは一瞬唖然となる。

「でもね、シュウ君。本当はそんな覚悟よりも、もう誰も傷つかないのが一番なのよ。」

サオリはドアを開ける。

「私が本当に決めてほしい覚悟は、あなたもハルカさんもこれ以上傷つかないでみんな幸せになる未来を思い描いて行動する覚悟よ。」

あなたならできるでしょう?

ハルカさんをそこまで想っているあなたなら。

「明後日のグランドフェスティバルで会いましょう、シュウ君。その時までに仲直りしていることを願っているわ。」

サオリはドアを閉めた。





ホテルの廊下を歩きながらサオリは考える。

おせっかいが過ぎたかしらね。

でも、シュウ君の殺気立った表情、5年前のカントーグランドフェスティバルの比にならないくらい凄かったわね。

あんな表情を浮かべるのも、それがハルカさんのためになると思っているからこそ。

もっとも、空回りして事態は悪化してるんだけど。

シュウ君、ちゃんと私の言ったこと、考えてくれるかしら。

あの二人が元気ないと、こっちまで参っちゃうっていうハーリーさんの言葉、分かるような気がするわ。

グランドフェスティバルにまで引きずってこられたら、私も気になって演技に集中できなくなるかもしれないわね。

本当に早く二人とも仲直りしてくれないかしら。





サオリはホテルの自分の部屋に戻っていった。

 

 

 

 

 

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