それは深奥にして心奥、避けて通ることは叶わぬもの 4
「じゃあ、これよろしくね、二人とも。」
ハルカはフライゴンに氷水を満たした洗面器を持たせた。
バタフリーにハンドタオルを手渡す。
二匹は翼を羽ばたかせ、隣の部屋へ戻っていった。
シュウは部屋に戻るなり、高熱のせいで寝込んでしまった。
ハルカが看病しようとしても、「ぼくに構わないでくれ。」の一点張りで部屋から追い出されてしまう。
仕方なく、ハルカはシュウのポケモン達に看病を任せていた。
「お医者さんを呼んだ方がいいのかな……。」
ハルカはそう呟くも、シュウがそれを受け入れるはずがないと知っている。
今のシュウは何も受け入れようとしていなかった。
「シュウ……。」
受け入れられない、その最たる例が自分だと思い当たり、ハルカはまた涙を浮かべた。
そんなハルカをロゼリアは見上げる。
ロゼリアはシュウの隣よりも、ハルカの傍にいることを選んでいた。
看病を他のポケモンに任せてまでハルカの傍にいるのは、ハルカを心配しているから。
傷つき、泣いてばかりの彼女が気が気でならないから。
ロゼリアは、モンスターボールの中から全てを見ていた。
シュウが全て悪いとは思わない。
彼は精一杯ハルカを傷つけまいとしていたから。
でも、結果的に、ハルカを泣かせたのはシュウなのだ。
そして、ハルカを泣かせたことでシュウも傷ついている。
シュウの隣にいるよりも、今はハルカの傍にいた方が良い。
シュウもどこかでそれを望んでいると思うから。
ロゼリアにはシュウも泣いているように思えた。
ハルカはポケモン達を連れず、また雪の積もった野原に来ていた。
ロゼリアは勝手について来ているが。
「ロゼリア……、あなたは草ポケモンなんだから、寒いの嫌いでしょう?ホテルに戻って。」
ロゼリアは聞こえない振りをする。
ハルカだって寒いのは苦手なはずなのだ。
それに、防寒着はマフラーくらいで、ハルカは薄着だ。
ハルカが病気になったらシュウが悲しむ。
自分のせいだと思って。
今のハルカのように。
「ねえ、ロゼリア。シュウはどうしてあんな所にいたんだろう。」
雪のちらつく空を見上げながらハルカは言う。
「公園のベンチに座ってたって……。みんなが見つけてくれた時は、もう半分意識がなかったって……。」
ポケモン達がハルカを連れて行ったシュウの発見場所は小さな公園のベンチだった。
シュウはそこにもたれるようにして座り込んでいたらしい。
ロゼリアからはハルカの顔が見えない。
しかし、ロゼリアにはハルカがまた泣いているのだという確信があった。
「シュウ、きっと一晩中外にいたんだ……。」
ハルカの声は震えていた。
寒さだけではなく。
ハルカはゆっくりと後ろに倒れ込む。
雪に体を横たえて、自分の顔を覗き込んでくるロゼリアを見上げた。
「こんなに寒いのに、こんなに冷たいのに、わたしが……。」
目尻から涙が落ちる。
ロゼリアは涙を拭おうとはしなかった。
それよりも、ハルカの手を引いて起こそうとする。
しかし、ハルカは起き上がろうとしなかった。
「ロゼリア、もういいよ……。あなたは戻ってて……。」
ハルカは流れる涙をそのままに目を閉じた。
どれだけロゼリアが引っ張っても、もう反応しない。
ハルカは罪悪感から自暴自棄になってしまっている。
そう思い当たったロゼリアはハルカから離れる。
どこかへ走り去っていくロゼリアの後姿をハルカは薄目を開けて見ていた。
独りぼっちで空を見上げる。
雪が降りてくるのを見ていると、自分が空に上っているように思えた。
本当に空に浮かんでいるように全ての風景が遠くなるのを感じながら、ハルカは再び目を閉じた。
「アンタ、凍死する気?」
ハルカは突然聞こえてきた声に目を開けた。
ぼんやりと視界に入ってきたのは――。
「ハーリーさん?」
ハルカと同じコーディネーターのハーリーだった。
「どうしてここに?……って、グランドフェスティバルに出るのね。出場おめでとう。」
「……アンタ、本物のバカね。」
ハーリーはおおげさにため息をついて、自分をここまで引っ張ってきたロゼリアを見下ろした。
「何でアタシなんて連れてきたのよ。シュウ君に頼みなさいよ、バカのお守りなんて。」
「……シュウは来ないよ。」
ハーリーの言葉にハルカは呟く。
「来てくれないよ、もう……。」
ハルカの顔に涙の跡を認めて、ハーリーは額を押さえた。
どうしてグランドフェスティバルを一週間後に控えた身で子どもの世話なんてしなきゃいけないのよ……。
「とりあえずハルカ、起きなさいよ。」
「……。」
「起きなさい!」
ハーリーはハルカの襟首を掴んで無理やり立たせる。
その時、緩くなっていたハルカのマフラーが雪の上に落ちた。
「まったく……。」
ハーリーはそれを拾い上げて、ハルカに渡す。
ハルカが渡されたマフラーを首に巻こうとしているのを見ていてハーリーは気付いた。
ハルカの首に赤く残った薔薇の花弁に。
――ふうん。
ハルカのらしくない沈み込んだ表情、自分を引っ張ってきたのがシュウのポケモンであるロゼリアだったということに照らし合わせて、ハーリーは今のハルカとシュウの状況を推理する。
ハーリーは見かけに寄らずというか、見かけ通りというか、とにかくこういうことには鋭かった。
そして、それは大方のところで間違っていない推理であった。
「……とにかく、こんな所に置き去りにして本当に凍死されたら目覚めが悪いのよ。ついて来なさい!」
ロゼリアに手を引かれてハルカが歩き出すのを確認して、ハーリーは自分の泊まるホテルに歩いていく。
転がり込んできた厄介事に頭を抱えながら。
「ほら、これでも飲んで温まりなさい。」
ハーリーは熱い紅茶の缶をハルカに差し出す。
「ありがとう……。」
ソファーに座ったハルカは小さく礼を言って受け取った。
しかし、口を付けようとしない。
ハーリーはまたため息をついた。
ここはハーリーの泊まるホテルのロビー。
雪に埋もれかけていたハルカを掘り出して、ここまで連れてきたのだ。
ハーリーはハルカの隣に座っているロゼリアを睨みつける。
――よくもこんな面倒事を持ち込んでくれたわね。
ロゼリアが駆け込んできた時、ロビーでくつろいでいたのが運の尽きだった。
こちらに気付いたロゼリアは、有無を言わさずハーリーをハルカの所まで引っ張っていったのだ。
しかし、ロゼリアも負けていない。
――こっちだってあなたなんかに頼りたくないわよ。でも仕方ないでしょう、あなたしか頼れそうな人がいなかったんだから。それとも何?こんな状態のこの子を放っておけって言うの?
目は口ほどにものを言う。
ハーリーとロゼリアは見えない火花を散らしていた。
「ハーリーさんは……いつからここに?」
ハルカの言葉で、ハーリーとロゼリアは一時休戦する。
「アンタ達より一週間は早く来てたわよ。グランドフェスティバルはそれだけ綿密なコンディションのケアが要求されるのよ。」
ハーリーはフンと鼻を鳴らし、腕を組む。
「でも、かもちゃんは全くそれを分かってないみたいねー。ポケモンほったらかしにして雪に埋まってるんだから。これはシュウ君も苦労するわー。」
言ってから、ハーリーはしまったという顔をする。
ハルカはシュウの名前が出たことで、また涙を浮かべていた。
ロゼリアの視線が痛い。
「ああもう!」
ハーリーはガシガシと頭を掻く。
「ハルカ!シュウ君と喧嘩したのは分かるけど、アンタ泣き過ぎよ!もうちょっとシャンとしなさい!」
「うん……。」
ハルカはシャンとするどころか、ますますうなだれていった。
「だーっ!もうやってらんないわよ!」
ハーリーはずんずんとどこかへ歩を進めていく。
「ハーリーさん……?」
ハルカはその背を呆然と視線で追う。
と、ハーリーはここでクルリと振り向いた。
「ロゼリア!アンタ、シュウ君のポケモンなら、あのキザで生意気なジャリみたいにハルカを慰めなさいよね!何でアタシがここまでしなきゃいけないのよ!」
それだけ言うと、ハーリーはもう振り返らず、どこかへ行ってしまった。
「ロゼリア……、ハーリーさんにまで嫌われちゃったよ……。今までもあんまり仲良くしてくれなかったけど……。」
ハルカはここでもまた涙を流す。
ロゼリアはハルカに抱きしめられながら内心ため息をついた。
あの人、どうしてああいう言い方しかできないのかしらね。どこかの誰かさんソックリ。
ロゼリアはずっと傷ついた少女の傍にいた。