それは深奥にして心奥、避けて通ることは叶わぬもの 2




 








「温泉でのぼせて倒れるなんて、シュウ、カッコ悪いかも。」

「……誰のせいだと思ってるんだ。」

ホテルの廊下を二人は並んで歩いていた。

ハルカの悪戯の結果、シュウは頭に血が上りすぎて倒れてしまった。

ハルカは自分にもたれ掛かってきたシュウを抱きとめ、慌てて岩風呂から上がったのだ。

しばらく脱衣所で扇いでいたら目を覚ましたので、ハルカは冷めた体を温めるため、もう一度露天風呂に入っていた。

一度倒れたシュウは上がり、ハルカが出てくるのを水分補給しながら待っていた。

しばらくしてハルカが脱衣所から出てきたので、二人は部屋に戻っている。

「まったく君ときたら……ぼくがどれだけ苦労しているか分かってないだろう。」

「シュウ、苦労なんてしてるの?」

「ああ、沢山ね。」

ハルカは先程のシュウを思い出して笑う。

シュウは憮然とした表情でハルカを見ていた。





「……君はぼくが男だなんて思ってないだろう?」

部屋に戻ってからシュウが言う。

ハルカはそのままシュウの部屋に来ていた。

隣の部屋に帰れというシュウの言葉を無視してのことである。

渋々ながらもシュウが受け入れてくれるのを知っているのだ。

ハルカはソファーに座ったシュウの膝を枕にくつろいでいる。

ドライヤーでふわふわになった髪を梳いてくれる手が気持ちいい。

「知ってるわよ、シュウが男性ってことくらい。」

シュウの手にハルカは擦り寄った。

「じゃあ、君は自分が女だって自覚があるのかい?」

「……どういう意味か聞いていい?」

「そのままの意味だよ。」

シュウの嫌味としかとれない言葉に、ハルカはシュウを睨みつける。

もっとも、シュウの顔は真上にあるので、見上げる分だけ迫力は無くなっていったが。

「……そろそろ夕食の時間だ。カフェテリアに行こう。」

ころんと頭を下ろされて、ハルカだけがソファーに取り残される。

「あ、シュウ!まだ話は終わってないわよ!」

ハルカは急いで立ち上がり、シュウを追いかけた。





カフェテリアでシュウと食事をしたり。

自分の部屋でポケモンセンターから引き取ったポケモンの手入れをしたり。

そんなこんなで時間はあっという間に過ぎていった。

もうそろそろ寝る時間だ。

ハルカはポケモンをモンスターボールを戻し、枕を抱えた。

そのままドアを開けて隣の部屋へ。

ドアをノックすると、シュウが出てきた。

こちらの顔を見るなり、大きくため息をつく。

「……何よ?」

「君、ぼくが夕食前に言ったことの意味、ちゃんと考えてないだろう?」

「シュウの嫌味なんて考えたくないわよ。」

ハルカはドアの隙間からするりと部屋に入った。

シュウはため息をついてドアを閉める。

ハルカはシュウのベッドに枕を置いて寝転んだ。

シュウはそんなハルカを見て、ますます深いため息をつく。

このため息こそがシンオウに来てからの幸せではないため息である。

シュウは困っていた。

物凄く困っていた。

自分の恋人の無防備さに。

一時期、二人はシュウの故郷のラルースに里帰りしていた。

その時、ハルカと一緒のベッドで寝たのだが、ハルカはそれがいたく気に入ってしまったらしい。

また旅に出てからも、こうやってしょっちゅう部屋に来るようになってしまった。

ポケモンセンターに泊まるときはまだいい。

同じ部屋でも小さくて狭い二段ベッドだから。

これだったら、いくらハルカでも一緒には寝ようとしない。

しかし、シュウは以前からホテルに泊まることが多かった。

ハルカと旅をするようになってからもその癖は抜けず、こうして悩まされる日々が今日まで続いているのである。

「ハルカ、部屋に戻るんだ。」

無駄だとは思いながらもシュウは言う。

こう言ったところで、ハルカが自分の部屋に戻ったことは無いのだ。

これでは何のためにいつも部屋を2つ取っているのか分からない。

「いやよ。」

案の定、ハルカはベッドに寝転んだまま、シュウの言葉を切って捨てる。

「ハルカ。」

シュウはため息をついてベッドに腰掛ける。

「ぼくは男、君は女、ぼく達は恋人同士。これは分かっているだろう?」

ハルカはキョトンとした顔をしている。

あまりにも当たり前のことを言われて、どう反応して良いのか分からないのだろう。

「君と同じベッドに眠っていて、ぼくが何も感じないとでも?」

シュウがハルカの頬に手を当てる。

ハルカはシュウの手の感触を味わいながら、言われた言葉の意味を考えていた。

自分がシュウと寝ていて感じるのは安心。

でも、シュウはそうじゃないらしい。

年頃の男女が同じベッドで寝ること、それが示す意味は――。

「もしかしてシュウ、何かエッチなこと考えてる?」

「……それを分かっていながら、どうして君はぼくと寝ようとするんだ。」

シュウがガックリとうなだれる。

ハルカはそんなシュウを見てクスクス笑っていた。

「何がそんなにおかしいんだい?」

「だって、シュウは大丈夫だもん。」

「……ぼくが絶対に君を襲わないっていう確信が君にあるのかい?」

「あるわよ。」

ハルカは頬に置かれたままだったシュウの手を握る。

「シュウはいつだって優しいもの。だから、シュウは大丈夫。」

「……その優しさが本心からのものじゃなかったとしても?」

「えっ……?」

シュウはいつの間にか顔を上げていた。

その目は今までハルカが見たことのないほど鋭かった。

それでもハルカはその目を見上げたまま動かなかった。

シュウが自分に危害を加えるわけがないと信じていたから。

愚かにも。

「君を傷つけたくなかったのにね。」

シュウはハルカの頬に添えていた手をずらして後頭部にもっていく。

そのままハルカを捕らえ、自分の唇でハルカの唇を覆った。

ハルカの唇を舌で割り、口内を掻き回す。

歯列をなぞり、舌を絡め、息すらも吸い尽くすように。

ハルカの安心を打ち砕くかのように。

シュウが唇を放した時、すでにハルカの息は上がりきっていた。

「シュウ……?」

こんな激しいキスなどされたことがない。

見上げたシュウの顔は鋭く、しかし静かだった。

「君が悪いんだよ。ぼくは何度も警告したのに。」

シュウはハルカの両手を片手で束ね、頭上に追いやった。

「シュウ!?」

驚愕に彩られたハルカの顔を愛しげにもう一方の手で撫でる。

「君を傷つけたくないというのは嘘。本当は傷つけてでもこうしたかった。」

「嘘!だって、シュウはいつも優しかったじゃない!」

眠っている時にいつも頭を撫でてくれた手は嘘じゃない。

抱きしめてくれた手の温かさは本当だった。

「それもこの感情の前では霞みも同然。」

シュウはハルカの首筋をきつく吸い上げた。

「っ!」

ハルカの体が跳ねる。

シュウが唇を放したそこには赤い薔薇の花弁が舞っていた。

シュウはハルカを縛る手をそのままに、もう片方でハルカの服をはだけていく。

「やっ、やだ!シュウ、やめて!」

「もう黙りなよ。」

再びシュウが口付ける。

全てを奪い尽くすようなキスに、ハルカは気が遠くなりかける。

しかし、胸を這う手に電撃が走ったように目が覚める。

ハルカは自分を蹂躙する唇に思い切り噛み付いた。

シュウの手が緩んだ隙をついて、シュウの下から抜け出す。

荒く息をついてベッドに座り込んでいると、笑い声が聞こえた。

その出所を睨みつけると、唇から血を流しているシュウと目が合った。

「君がここまで抵抗するとはね。」

ペロリと唇を舐め、流れる血を舌で掬う。

「……どうしてこんなことするのよ!」

息が整わないままに、ハルカの問いが飛ぶ。

シュウは再び笑った。

「させたのは君じゃないか。ぼくに君を裏切らせたのはハルカ、君自身だよ。」

シュウは胸元を押さえているハルカに手を伸ばす。

「やっ!」

気が付いたらハルカは、シュウの頬を平手で叩いていた。

「……ふうん。」

シュウはハルカの顎に手を掛け、三たび唇を奪う。

「……っ!」

ハルカはシュウを思い切り突き飛ばした。

その勢いで壁際までベッドの上を後ずさる。

自分を睨みつけるハルカに、シュウはため息をついた。

「君はぼくを裏切らせておいて、それでも自分を裏切らないつもりかい?」

シュウはベッドから降り、上着を手に取った。

そのまま扉へ向かう。

「シュウ……?」

ハルカは先程までのシュウがまだ信じられなくて、シュウの後姿に呼びかける。

「自分の部屋に帰りなよ、ハルカ。ぼくはこのまま出て行ってあげるから。」

シュウは振り返りもせずにそう告げると、扉を開けて出て行ってしまった。





ハルカはベッドに座り込んで呆然としていた。

それでも、頭は目まぐるしく動き続けている。

さっきのは本当にシュウだったの……?

何だか知らない男の人みたいだった。

男の人――この言葉にハルカは思い当たる。

シュウは男。

シュウがそう言い続けていたことに。

――どうして、シュウだけは違うなんて思ったりしたんだろう。

シュウが優しかったのは嘘じゃない。

それでも、その優しさは腕の中にいるのが女だという意識から目を背け、何とか自分を慈しもうとした彼の努力の結果だった。

自分が女で、彼が男だということは変えられるはずがないのに。

ハルカは口の中に血の味がすることに気が付いた。

彼の血――自分が噛み付いた――自分が裏切らせた彼に。

ハルカの頬を涙が伝う。

さっきはあれほど酷いことをされても一滴も流れなかった涙が。

シュウを裏切らせたのはわたし。

信頼という名の甘えで彼を追いやったのはわたし。

そして、その甘えにまだ縋り付いているのも――わたし。

ハルカは膝を抱えて泣き続けた。





シュウはもう部屋には帰ってこなかった。

 

 

 

 

 

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