朱色

 

 

 

 







ここはホグワーツ魔法学校。

約千人もの生徒が魔法を教わる学び舎である。

自由な校風と偉大な魔法使いを幾人も輩出してきた実績、伝統を守りながらも伝統にとらわれない柔軟さで長く魔法界に名をとどろかせてきた学校である。

しかし、そんなホグワーツにも絶対のルールが一つ。

ホグワーツの生徒は寮に入り、そこで寝食を共にするのだが、この寮は4つあり、それぞれグリフィンドール、スリザリン、レイブンクロー、ハッフルパフと呼ばれている。

その中のグリフィンドールとスリザリンは魔法に対する姿勢の違いから長らく対立関係にあった。

もちろん、そのルールが対立の理由ではない。

しかし、そのせいで歩み寄りに歯止めをかけているのは間違いなかった。

だが、それに異を唱える者は誰もいない。

不文律としてホグワーツに伝わるそのルールはそれだけの力を持っていた。

グリフィンドール生とスリザリンの恋愛は絶対の禁忌。

これはそのルールが始まって以来、初めてその禁を破った二人の物語である。






――とは言っても。

二人は何ら特別な生徒ではない。

確かに、それぞれの寮の監督生であり、人望も厚く、魔法の成績も優秀ではあったが、それは努力家という二人の共通点が自然とそうさせただけである。

成績に関する努力にしても、片方は元から努力家で、もう片方は負けるのが悔しくて勉強している内に学問の面白さに気づいたというから、同じ努力家でもかなりの違いがある。

人望に至っては、友人を大事にするという人間として当然のことであり、特別なことなど何も無かった。

しかし、二人は特別。

そうさせているのは、互いを想う心の強さであった。







「ふう……。」

西日が差し込んでくる教室。

カタンと机に羽ペンを置く音が響いた。

「随分この課題には時間がかかったな……。」

さらりと夕日を受けて輝く髪をかき上げる。

彼の名はシュウ。

学園一の成績優秀者であり、スリザリンの監督生であり、その柔らかな物腰と容姿から女子生徒に大人気の男子学生であり――要は非の打ちどころのない人物であった。

そんな真面目な彼は授業が終わった後も一人教室に残り、出された課題を片付けていたのである。

「疲れた……。」

課題が難しいわけではない。

今回の課題は魔法史のレポート。

五百年前に起きた小人族とゴブリンの闘争と和解を羊皮紙5枚分書いて提出すること。

羊皮紙5枚分と言えば、提出期限はまだ先とは言え、相当な時間がかかる。

しかし、時間さえかければ出来る課題なのである。

そして、勉強熱心な彼は課題が出された当日に早くもやり遂げてしまったのであった。

しかし、彼を疲れさせているのは課題ではなかった。








数時間前のまだ明るい教室。

「シュウ様ー!魔法で固めた薔薇チョコです!受け取ってください!」

「い、いや、ぼくは……。」

「あ!抜け駆けはずるいわよ!シュウ様、特製のかぼちゃジュースです!疲れる授業の後にはやっぱりコレです!」

「だから、ぼくは……。」

「何言ってるのよ!贈り物はやっぱり手作りよ!シュウ様、グリフォンの毛で編んだマフラーです!受け取ってー!」

「……。」

シュウは目の前の女子生徒にバレないようこっそり溜息をつく。

どうして、最後の授業が終わると毎日のように嵐に巻き込まれるのか。

彼女達はシュウのファンであった。

シュウの授業が終わると、待っていましたとばかりに教室になだれ込んできてシュウにプレゼントを差し出すのである。

おかげで、早く取りかかりたい課題にも全く手がつけられない。

今もシュウの目の前で押し合いへし合いプレゼント合戦を繰り広げている。

「あ、あの、君達……。」

「シュウ様はお疲れなのよ!お疲れのときは甘い物よ!」

「それだったら、栄養たっぷりのかぼちゃジュースよ!甘いだけのお菓子なんかよりずっといいんだから!」

「違うわ!疲れたときは体を優しく包んでくれるマフラーよ!」

「君達!」

思わず大きな声を出してしまったシュウに彼女達はハッと動きを止める。

「シュウ様……。」

先程とは打って変わってか細い声で名を呼ぶ女子生徒にシュウは慌てる。

「君達の気持ちは嬉しいんだ。」

慰めるように、シュウは何とか優しい声を出す。

彼女達の気持ちは嬉しい、それに偽りは無い。

「でも、受け取れない。」

気持ちと共に差し出されるプレゼントを受け取ることは彼には出来ない。

「受け取ってくれるだけでいいんです!」という女子生徒もいるが、それこそ出来ない。

先程、視界の隅を横切った顔。

魔法史の授業はグリフィンドールと合同だった。

プレゼントに埋もれそうになっている自分を見ていた「彼女」は怒るでもなく、嫉妬するでもなく――ただ悲しそうだった。

もちろん、まだ他の生徒もいたから、あからさまに悲しげな顔をしていたわけではない。

その前後は友人と談笑する授業から解放されたどこにでもいる生徒の顔。

ただ一瞬、道端に置いて行かれた子猫のような瞳を彼に向けただけだ。

そうして、教室を出て行こうとする彼女に動揺して大きな声を出してしまったのだった。

「ごめん。」

最低な断り方だ。

気持ちは嬉しいと持ち上げておいて、それでも受け取らないなんて。

「ごめん。」

シュウは謝ることしかできない。

「……わかりました、シュウ様。」

女子生徒達がプレゼントの包みをまた手元に戻す。

「大切なお時間をとらせてしまって申し訳ありませんでした。」

騒いでいた女子生徒達が静かに教室を出ていく。

彼女らにそうさせたのはシュウの姿だった。

締め付けられるような、かすかに浮かべられた苦悶の表情。

ともすれば騒ぎの興奮で見逃してしまいそうな心の動きだったが、初めて見るシュウの顔は彼女らに鮮烈な印象を残した。

彼がプレゼントを受け取ることは決して無いと悟らせてしまうほどの。

しかし、それは不思議と不快ではなかった。

気持ちは嬉しいという言葉に偽りが感じられなかったせいかもしれない。

そうして、彼女らは帰って行った。

しかし、シュウは苦しげな表情を浮かべたままだった。








羊皮紙に読み返し終えて、シュウはまた溜息をつく。

あの女子生徒らに大きな声を出してしまったことを思い出していた。

断ったことは後悔していない。

悔やんでいるのは断り方だった。

自分の言葉に嘘が無いように、彼女らの気持ちにも偽りは無い。

それを突っぱねるように拒絶してしまった。

その彼の思考がまた一つ溜息を生み出す。

そして、何よりも彼の悩みを大きくしているのは、去り際の「彼女」だった。

追いかけていきたかった。

しかし、それはこのホグワーツでは許されない。

目立つ行動はこの気持ちを周りに悟らせてしまう。

「彼女」と一緒にいられることは少ないけれど、一緒にいられなくなる事態は避けなければならなかった。

シュウは今までで一番深く大きな溜息をつく。

泣きそうだった恋人を放っておかなくてはならないのがたまらなくつらい。

一緒にいられないのが耐えられないくらいに苦しい。

「ハルカ……。」

呟いた瞬間、教室の扉がカタリと動いた。

シュウは思わず音をたてて立ち上がる。

今の独り言を聞かれていたらまずい。

扉は硬直するシュウの視線の先でゆっくりと開いた。

「ハルカ……。」

シュウはほっと息を吐く。

現れたのは「彼女」――ハルカだった。

ハルカが教室に入り、すぐに扉を閉める。

西日がハルカをも照らし出した。

そこでシュウは違和感に気づく。

いつもの快活で元気の良い彼女ではない。

眩しい光に照らされているというのに青ざめ俯いていた。

「どうしたんだい?」

シュウはハルカに歩み寄り、椅子に座らせようとその手を引く。

そこで二つ目の違和感に気づいた。

「随分と冷えているね。」

そんなに寒い季節でもないのに、ハルカはずっと日陰にいたかのように震えていた。

「シュウ、ごめんなさい……。」

「どうして謝るんだい?」

「……。」

ハルカが無言で胸に飛び込んできた。

シュウも沈黙したまま、冷たい体を抱きしめる。

ポンポンと軽く背中を叩いていると、ハルカが小さくしゃくり上げた。

「大丈夫だよ、ハルカ。」

ぎゅっとローブを握る力が強まったのを感じてシュウは言う。

「君が何を謝っているのか知らないけど泣かなくていいよ。」

「でも、こんな明るい時間に会っちゃいけないのに……。」

胸に顔をうずめたまま、ハルカがくぐもった声で続ける。

「会いたくなったの。会いたくて会いたくてたまらなかった。我慢できなかった……!」

「……!」

シュウは再び胸が締め付けられるような感覚に襲われる。

彼女をここまで追い立てたのは不安だ。

普段は明るくて元気な彼女。

それをここまで弱くしてしまったのは自分が与えた不安に他ならない。

女子生徒に贈り物を差し出されている恋人を見せつけられて平静でいられるはずもない。

そこまで彼女を揺さぶってしまったのはぼくだ。

「ハルカ……。」

ごめんと謝りたかった。

でも、謝ったら、ハルカはきっと泣いてしまう。

自分のわがままでそう言わせてしまったという罪悪感で。

そんなことないのに。

「ハルカ、ありがとう。」

「え……。」

だから、代わりに感謝の言葉を。

「ぼくも君に会いたかった。会いに来てくれてありがとう。」

不安を与えてばかりの自分に会いたいと言ってくれることに。

こんな自分に会いたくて我慢できなかったと言ってくれることに。

「本当にありがとう、ハルカ。」

恐る恐る自分を見上げる青ざめたままの顔。

冷たい頬を撫で、震える唇に自分のそれを合わせる。

そっと離すと、目を見開き、ひどく驚いていた。

しかし、もう涙の気配は無い。

「ハルカ、もう一度キスしていいかい?」

「……それはする前に訊くことかも。」

そう言いながらも、ハルカは静かに目を閉じる。

シュウは夕日に照らされた白い顔を両手で包む。

今度、唇を離すときは、この夕日と同じ色をしていてほしい。

頬にその色を走らせ、明日を照らすことを約束する光と同じ温かな唇に戻っていることを強く願う。

「ハルカ、愛しているよ。」

朱に染まった教室で、二人の長い影が重なった。

 

 

 

 

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