屋上
「やっぱりここにいた。」
ぼくが出窓から彼女を見上げると、彼女はぼくから顔を背けた。
「随分危ない所にいるね。」
張り出した出窓をさらに大きく開け、ぼくも彼女と同じ空へ出る。
「……何の用?」
「言わなくちゃ分からないかい?君を泣きやませに来たんだよ。」
夜風が彼女の湿った頬を撫でる。
真夜中、彼女は星に見守られて涙を流していた。
……屋根の上で。
「君ね、いくら怖かったからってこんな時間にこんな所で泣くこと無いだろう?」
「だって!城の中にいると、いつ後ろに張りつかれるかって怖かったんだもん!」
ふええん!と彼女はまた泣き声を上げる。
「だったら、大急ぎで寮に帰ってベッドに潜り込めば良かったじゃないか。」
「そうしたわよ!そしたら今度は金縛りに遭ったの!」
「……。」
「もうホグワーツ城の中に入れないよぅ……。」
膝を抱えてカタカタ震えている。
彼女がこんなに怯えているのは数時間前のアレが原因だ。
アレ、即ち肝試し。
肝試しをしたいという彼女の発言で現実となった肝試し検証大会。
結果は――まあ、当然と言うか何と言うか。
しかし、彼女がここまで怯えるのは予想外だった。
「ハルカ、そんなことを言わないで城に入ろう。」
ぼくは斜めに傾いだ屋根でバランスを取りつつ彼女に近づく。
城の中が怖いのは分かるが、よくもまあこんな所で泣く気になったものだ。
「近づかないで!」
彼女が悲鳴に近い声を上げる。
「近づくと飛び降りるかも!」
「……。」
飛び降りるって……。
「死ぬよ、君?」
「浮遊術があるから平気だもん!」
「だからと言って飛び降りるのは怖いと思うよ?」
「のっぺらぼうのシュウよりマシかもー!」
彼女が屋根の上をじりじりと後ずさっている。
ああ、ここが尖塔じゃなくて本当に良かった。
塔の上なんかだったら、とっくに彼女は落ちているところだ。
それに、まだ角度の浅いこの屋根なら――
「うわああんっ!来たーっ!」
ダッシュで彼女の前に出る。
間違っても飛び降りたりしないように右手で彼女の手首を掴むと、いよいよ彼女は泣きだした。
ボロボロと涙を零しながらもがいている。
「ほら、ハルカ、大人しくするんだ。」
「もう悪いことしないからどっか行ってよぅ!食べないでぇ……!」
「……。」
恐怖で幼児退行?
そこまで怖かったのか?
「ふにゃあああっ!」
あまりに怯えるものだから、何とか泣きやませようと抱きしめてやると、彼女はもっと暴れだした。
「痛っ、痛いって、ハルカ……。」
ハルカを抱きしめてやるために屋根に腰をおろしたけれど、これではいつかバランスを崩してしまう。
「ハルカ、落ち着いて……。」
「いやあっ!放してぇっ!」
……仕方ない。
「インペディメンタ!妨害せよ!」
杖を握って相手の動きを封じる呪文を発する。
彼女の動きがピタリと止まった。
「ごめんよ、ハルカ。」
その隙にぼくは彼女を抱き直す。
後ろから抱き締めてやろうかと思ったけれど、彼女がワカナさんの魔法を一番怖がっていたことを思い出して正面から抱き締めてやった。
しかし、彼女の顔を覗き込むと、怯えて泣きじゃくっているのが分かる。
「……。」
恋人、のはずなんだけど……。
彼女にとって、ぼくが一番の恐怖の対象ってどうなんだろう。
「ごめんね、ハルカ。」
ポンポンと軽く背中を叩いてやる。
「本当はここまでするつもりじゃなかったんだ。」
「……どういうこと?」
思わせぶりなセリフにつられて、彼女は恐怖をにじませながらも質問してきた。
ああ、また嫌われるんだろうなぁ。
「君が肝試しをしたいと言った時、ぼくは最後まで反対しただろう?」
「……うん。」
「それでも君が意見を変えなかったから、ワカナさんに便乗して君が意見を変えるように仕向けたんだ。」
「……それ。」
「そう。ぼくの知る君の傾向性。それと皆の魔法をどう使えば一番効果的かをシュミレートして皆に指示を出した。」
「……。」
ハルカがぼくの胸の中で黙り込む。
「カスミさんのクラゲで泣いてくれれば一番良かったんだけどね。君がなかなか負けを認めなかったから、ワカナさんに登場してもらった。」
「……。」
「ワカナさんまで出すつもりじゃなかったんだけど、どうしても肝試し大会を実現させるわけにはいかなかったからね。でも、ここまで君を泣かせるつもりじゃなかったんだ。」
「……なんで。」
「ん?」
「なんで、肝試し大会をやらせたくなかったの?」
くぐもった声でハルカが呟く。
ああ、やっぱり、怒るんだろうなぁ。
「肝試し大会なんて開催したら、みんな夜を楽しいものだって思うようになるだろう?君みたいに泣くのは例外だし。」
「それはまあ……。」
「そうしたら、みんな肝試し大会以外でも出歩くようになってしまう。いくら校則で縛っていてもね。」
「……みんなを危険な目に遭わせたくなかったの?」
「いいや。」
「え?」
答える前に、ハルカが逃げ出さないよう腕の力を強める。
「みんなが出歩くようになれば、ぼく達が夜会えなくなるだろう?」
「はっ!?」
「明るい時間は会えないから、夜しか君と一緒にいられないのに、みんなが夜行動するようになったら見つかる危険性が高まるじゃないか。」
「ま、まさか、シュウ……。」
「みんな、夜が楽しいなんて知らなくていいんだよ。君との貴重な時間を邪魔されちゃたまったものじゃない。」
「そ、そんな理由で……!」
ハルカがぼくの胸を押し返そうとしている。
もちろん、彼女の力でぼくを離せるわけがないけど。
「君、そんなことも考えずにただ単純に楽しいから肝試しなんてしようとして。ぼくがどれだけ肝を冷やしたか分かっているのかい?」
「勝手なことばっかり……!」
「口火を切った君が意見を翻せば皆も諦めるからね。それに、ワカナさんの提案にも随分助けられた。」
胸を押すのをやめて杖を取り出そうとローブに手を伸ばす彼女を抑える。
「相手が泣くということほどオバケ役にとって楽しいことは無いからね。あの6人もあれだけ楽しい思いをすれば、他人をビックリさせようとは思っても、自分が夜出歩こうとは思わないはずだ。」
「そんなことのために……!」
「そう、君を泣かせた。」
両手首を抑えたまま、彼女の顔を覗き込むとまた泣いていた。
でも、これは――
「悔し涙まで流さなくてもいいじゃないか。」
「シュウのバカ!大っ嫌い!」
ああ、やっぱり嫌われた。
でも、ぼくだって譲れないからそうしたんだ。
「嫌ってもいいよ。それだけのことをしたんだしね。」
「え……。」
魔法をかけた時のように、彼女の動きが止まる。
「でも、君はもう一度ぼくを好きになってくれるかもしれないだろう?」
「……。」
「そのときにまた会ってくれればいい。この皆が寝静まった夜に。」
ぼくは彼女の手首を離す。
「おやすみ、ハルカ。あんまり体が冷えない内に寮に帰るんだよ。」
最後に彼女の頭を一撫でして立ち上がる。
屋根の上を歩き出すと、数歩も行かない内にローブの裾を引っ張られた。
「何だい、ハルカ?」
彼女がローブを握ったまま俯いている。
「……シュウなんて大っ嫌いなんだから。」
「ぼくは君が好きだよ。どんな手段を使っても会いたいほどにね。」
「そういうところがすっごく嫌い。」
「それはどうも。」
彼女が唸る。
「……でも、そういうシュウを嫌いになれない自分が一番嫌い。」
顔を上げた彼女はまた泣いていた。
おやおや。
「泣くくらいぼくのことが好きなら、最初からそう言えばいいのに。」
「そういうところが嫌い……!」
また屋根に腰をおろして彼女の手を引く。
「ぼくのことが嫌いになれないから悔しいんだろう?」
「……やっぱり、分かってて嫌いになってもいいなんて言ったんじゃない。」
「いいや、本気で嫌われるとは思っていたよ。」
彼女の涙を指ですくう。
「ただ、君はぼくのことをもう一度好きになるに違いないとは思っていたけどね。」
「やっぱり、確信犯なんじゃない……。」
彼女がぼくの指を振り払う。
そのまま、ぼくの胸にごしごしと顔を擦りつけてきた。
「随分と可愛いことをするね、ハルカ。」
「そういうことをぬけぬけと言うところが嫌い……!」
「君が可愛いからいけないんだよ。」
「そういうのも嫌い……!」
「はいはい。」
「そうやって、人の話を受け流すところも全部嫌い……!」
そのまま、ぼくはぼくのことが嫌いだと告白し続ける彼女をずっと抱きしめていた。