おしゃべりマナフィ   しってることしらないこと


 

 

 

 




マナフィは夢を見ていた。

マナフィが初めて目を開ける前の夢。

こんな風に目を閉じて、こんな風に夢を見ていた。

ずっと蒼い世界を見ていた。

どこまでも深く、どこまでも蒼い世界。

その世界を漂いながら、ずっと目を開ける時を待っていた。

夢を見ながら待っていた。





目を開ける時は唐突に訪れた。

マナフィが初めて見た世界、そこは今までの世界と全く違っていた。

見たことのない色がある。見たことのない形がある。見たことのないものがある。

そして、その中心に見たことのない人。

でも、知ってる。

マナフィはこの人が誰なのか知ってる。

マナフィはその名を呼ぼうとして――






「マナ?」

目を開けたら、今まで見ていたものが無くなっていた。

「フィー?」

起き上がってキョロキョロとさっきまで見ていたものを探す。

それはすぐ傍にあった。

近すぎて見えなかっただけ。

「ハルカみつけたー。」

抱きしめてくれる腕を抜け出し、顔の前までベッドを歩く。

マナフィが初めて見たもの。

それは――

「……マナ?」

言葉が出てこない。

ハルカはハルカなのだけれど、そうじゃなくて。

「……カモ?」

カモはハルカで、ハルカはカモで、でもそうじゃなくて。

「フィ……。」

人間の言葉で言おうとするから言えないのかもしれない。

マナフィはまだまだ二人みたいに沢山しゃべれない。

ポケモンの言葉なら。

「……。」

出てこない。

これが何なのか知ってるけれど知らない。

マナフィは知らない。

「……。」

知らなければ教えてもらおう。

「ハルカおきるー。ハルカー。」

ほっぺをむにむにするけれど、ハルカは起きてくれない。

「マーナー!」

むにむにし続けていると、ハルカがぼんやりと目を開けた。

「なあに、マナフィ……?」

「ハルカ、なにー?」

「……は?」

「だから、ハルカ、なにー?」

「……起こしたのはマナフィでしょ?」

「そー、マナフィ、ハルカおこしたー。」

マナフィは頷く。

ハルカが何なのか、ハルカは知っているはず。

だって、マナフィが知りたいのはハルカなんだから。

「ハルカ、おしえてー。ハルカ、なにー?」

「……用が無いなら起こさないでよね。」

「あー!ハルカ、ねちゃダメー!」

「……おやすみ。」

「マーナー!」






「……どうして、マナフィはあんなに不機嫌なんだい?」

「分からないわ。起きてからずっとあんな感じ。」

いつもの中央庭園。

マナフィは二人から少し離れて朝ごはんを食べていた。

結局、あの後、ハルカは寝てしまった。

マナフィはハルカが何なのか知りたかっただけなのに。

ハルカは教えてくれなかった。

「マナフィ、オレンの皮が剥けたよ。」

草の上に座ったシュウがマナフィに呼びかける。

マナフィは食べかけのナナシを置いて、シュウの傍まで行く。

シュウの手からオレンを受け取って、すぐにナナシの所に帰った。

本当はマナフィだってシュウと一緒に朝ごはんが食べたい。

でも、シュウはハルカと一緒にいるから。

「……マナフィ、明け方のこと怒ってるの?」

「……。」

マナフィは無言でオレンを食べる。

「明け方のこと?」

シュウがハルカを見た。

「そう、マナフィったら訳の分からない質問してくるのよ。答えようが無くって黙ってたら拗ねちゃって。」

「……わけわかんなくない。」

「え?」

「わけわかんなくない。マナフィ、しりたかっただけ。」

マナフィはオレンに目を落とす。

ハルカが何なのか知りたかった。

ハルカと初めて逢ったあの瞬間、マナフィは答えを持っていたはずなのに、その答えはどこかに行ってしまった。

だから、その答えを教えてもらいたかっただけなのに。

だから、ハルカにハルカは何って訊いたのに。

「わけわかんなくない……。」

ポタポタとオレンに雫が落ちる。

せっかく、シュウが剥いてくれたオレンなのに。

「よしよし、マナフィ、泣かないで。」

シュウが近づいてきて、マナフィを抱き上げた。

大きな手でマナフィの頭を撫でてくれる。

その優しい手に泣き止みそうになったけど、シュウがハルカの傍に座ったから、また涙が出てきた。

両手で持ってたオレンを離して、シュウの服にぎゅっとしがみつく。

「マナフィ、君はハルカに何て訊いたんだい?」

「……。」

「あのね、シュウ、マナフィは――。」

ハルカが何か言いかけたけど、シュウはハルカの唇に人差し指を当てた。

そして、もう一度マナフィを見る。

その目が優しかったから。

「……ハルカ、なにってきいたの。」

マナフィはポツリと呟いた。

「そうか。」

シュウが頷く。

「どうして、それを知りたかったんだい?」

「……ハルカはハルカだけど、ハルカじゃないから。」

「その”ハルカじゃない”ハルカは何って訊いたのかい?」

マナフィはコクンと首を縦に振る。

シュウは不思議だ。

マナフィじゃないのに、マナフィの考えてることが分かる。

どうして分かるんだろう。

シュウにつられて、するすると答えまでこっちに来てくれそうな気がする。

「”ハルカじゃない”ハルカを知りたくなった理由があるのかい?」

「……マナフィ、ハルカしってたから。」

「うん。」

「はじめてハルカみたとき、ハルカしってた。」

「初めてというのは君が生まれたばかりの時?」

マナフィはまた頷く。

「マナフィ、ハルカしってた。でもしらない。マナフィ、ハルカしらない。」

「だから、君はハルカが何なのか、ハルカに訊いたんだね。」

マナフィの頬を流れる涙を長い指が拭ってくれる。

シュウの顔を見上げると、シュウは相変わらず優しい目をしていた。

「マナフィ、ハルカはね、君のママだ。」

「まま?」

「そう、ママはね、君がこの世界に生まれてきたのを一番初めに喜んだ人だ。」

「ママ……。」

「だから、君の一番近くにいたんだ。君はそれを知っていたんだよ。だから、ママの腕の中で生まれたんだ。」

シュウの視線が横に向く。

それを追いかけると、ちょっぴり赤くなって、ちょっぴりしょんぼりして、とても嬉しそうなハルカがいた。

「君はね、初めて見たハルカをママだと知っていたんだよ。自分を愛してくれる人をママだと呼びたかったから、答えが知りたかったんだ。」

その言葉にマナフィは何度も頷く。

「ママ!」

そして、シュウの腕を飛び出してハルカに抱きついた。

生まれた時に感じた温かさと同じ胸に。

マナフィのママに。






「マナフィが君の腕の中で生まれたこと、ゆめゆめ偶然と思わないことだね、ハルカ。」

「分かってるかも。」

朝の騒動からあっという間に時間が過ぎて。

気付けばいつものおやすみの時間。

マナフィはベッドでウトウトしながら二人の会話を聞いていた。

「マナフィが初めて見たのが君だということ、これはマナフィが君を愛する未来を選んだということなんだから。」

ハルカの腕の中で、シュウの声がほわほわと揺れている。

「子どもは生まれる前から知っているんだよ。この人が自分の母さんだと。自分を愛してくれる人だと。だから生まれてくるんだ。」

「分かってるわよ……。」

「愛し合いたいから生まれてくるんだ。」

「分かってるってば……。」

「それに応えなくてはいけないよ、君はマナフィのママなんだから。」

「分かってるかも!そんなに言わなくたっていいじゃない。」

「良くない。」

ほわほわしていた声がビシッとなった。

「マナフィの話をきちんと聞かないで訳が分からないと決め付けるなんてひどすぎる。マナフィは何とか伝えようと必死になっていたのに。」

「仕方ないじゃない、眠かったんだから。」

「君のことだから、眠くなくても分からなかったら聞かないだろう?」

「う……。」

「だから言ってるんだ。」

シュウの手がマナフィの頭に触れる。

「愛し合うというのは簡単なことじゃない。互いを尊重しないと絶対に出来ないことなんだから。」

厳しいことを言っている感じだけれど、その手はとても温かだった。

「尊重するということがどういうことか分かるね?」

「……。」

「ちゃんと話を聞くのはその第一歩。肝に銘じておくんだね、ハルカ。」

「……どうしよう、マナフィにひどいことしちゃったかも。」

ハルカのしょんぼりした声。

そのまま、ハルカはしゃべらなくなった。

マナフィを抱いてくれている腕も何だか重くなったような気がする。

それがずっと続くような気がして、ハルカを元気づけようと目を開けかけたその時、

「そんな顔をしなくていいよ。」

フッと笑う気配がして、マナフィはハルカごとシュウに引き寄せられた。

「子どもにとって、相手に伝えたいことが伝わらないのはとてもじれったくて、とても腹立たしくて、とても悲しいことなんだ。それを君に分かってほしかったんだよ。」

「……シュウ?」

「自分は必死なのに、相手はちゃんと受け止めてくれないというのがどれだけ寂しいか理解してほしかったんだ。」

そのために耳が痛いことも言ったけど、とシュウの声が直接体に響く。

「ちゃんとマナフィの気持ちが分かったんだったら、そんな泣きそうな顔をしなくていい。その代わり、明日からは真剣に話を聞くんだよ。」

「はい……。」

マナフィから離れた腕がハルカをよしよしと撫でている。

やっぱり、シュウはマナフィのしたいことが分かるみたいだ。

「……ねえ、シュウ。」

「何だい?」

しばらく慰められている内に、ハルカは少し元気になったみたいだ。

「どうして、シュウはマナフィの気持ちが分かったの?」

「伝えたくても伝わらなくて泣いてた時の?」

「そう。」

マナフィも知りたい。

マナフィは耳を澄ます。

「パパとしての責任感?」

ぱぱ?

「いや、それもあるけど、それだけじゃないよ。」

「じゃあ何?」

「ぼくにも覚えがあるからね、小さな頃に。」

「そうだったの。」

ハルカがクスリと笑う。

「シュウも色々なことを訊いて大人を困らせていたんでしょ?」

「そんなお気楽なものじゃないよ。頭の中では分かっているのに言葉が出てこない。これがどれだけ苦痛か。子供心につらかったんだよ。」

「でも、だからこそ、マナフィは幸せね。自分の気持ちを分かってくれるパパがいるんだから。」

パパというのはマナフィの気持ちを分かってくれるものらしい。

でも、パパだから分かってくれるんじゃなくて、シュウだから分かってくれるらしい。

つまり、シュウがマナフィのパパだから、話を聞いてマナフィのことを分かってくれるんだ。

「マナフィ?」

コロリと寝返りを打って、ハルカの腕を上手く抜け出す。

そして、朝みたいにシュウの服にしがみついた。

何となく、二人に起きていたことを知られたくなかったから。

マナフィは目を閉じたまま、シュウの胸に顔をうずめた。

「パパ……。」

二人に聞こえないようにそっと呟く。

ハルカはマナフィのママ、シュウはマナフィのパパ。

知りたかったのはこれだったんだ。

自分を愛してくれる人をそう呼びたかったんだ。

マナフィは嬉しかった。

二人がきゅっと抱きしめてくれるのが本当に嬉しかった。

そのまま眠りに落ちて見た夢は、三人で仲良くご飯を食べている夢だった。

 

 

 

 

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