年の終わり
「もう今年も終わりね……。」
ハルカは暗い窓ガラスの向こうを見ようと曇りを手の平でぬぐう。
ホテルの最上階にある部屋の窓からは町の光が一望できた。
新年を今か今かと待ちわびる人々の光。
雪の白に反射して、建物の外も内も暖かな光で満ちていた。
それでもこの高さから見れば小さな光で、この部屋の明かりには敵わない。
暗い窓に映っているのは自分の顔。
それからいつの間にか後ろに立っていた彼の肩。
「シュウ、また背伸びた?」
ハルカは顔だけで振り返る。
シュウは機嫌良く頷いた。
「シンオウに来てから結構伸びたよ。成長期だからね。」
「昔はわたしの方が大きかったのに……。」
「出会った時から少しだけどぼくの方が大きかったよ。」
ハルカはその言葉にムッとしながらまた窓の外に顔を向ける。
「シュウの方がちっちゃかったかも。」
「君の方が小さかったよ。」
「シュウかも。」
「君だよ。」
「シュウ。」
「君。」
「……意地になるところが怪しいかも。」
「それは君にも言えることだろう。相変わらず美しくないね。」
ハルカはその言葉にふと笑みを浮かべる。
「その美しくないわたしに今年告白したのは誰だったかしら?」
「その嫌味ばかりの男に大好きだと言って、それ以来、年末までずっと一緒に旅してたのはどこの誰だっただろうね?」
ガラスに映ったシュウがハルカの肩に手を伸ばす。
ハルカは冷たい空気がにじむ窓際から後ろに引き寄せられた。
「それに、昔がどうであれ、今はぼくの方が大きいよ。こうやって君を包み込める程にね。」
首に回る腕がハルカを優しく温める。
「そうね、あの頃のわたし達とは違うかも。」
ハルカはシュウに体を預けた。
「それにしても、君が過ぎ去った時間に思いを馳せるなんてね。」
ハルカを後ろから抱きしめたシュウがクスクス笑う。
「君はいつだってイノムーのように前だけ見て突進してると思ってたよ。」
「昔はね。過ぎた時間よりもこれから来る時間にワクワクしてた。」
ハルカは遠い昔を思い出す。
旅を始めたのは10歳の時。
新しいことがいつも起こって、明日が来るのが待ち遠しいそんな毎日。
後ろを振り返るより、前に向かって走るのがとても気持ち良かった。
初めは弟や仲間達と、次は一人で旅をして、そして今は――。
「でも、今年は色んなことがあったから。」
ハルカにとって二度目となったジョウトでの旅。
「ジョウトを走り回ってリボンを集めてグランドフェスティバルに出て――。」
「それでグランドフェスティバルの後、ぼくみたいなヤツに告白された挙句、唇を奪われる、と。」
ハルカはカッと顔を赤らめる。
「……あれは今年だけじゃなくて、人生始まって以来の恥ずかしい思い出ナンバーワンよ。」
「ぼくにとっては、今のところ、人生最良の日かな。」
その言葉に疑問を覚えたハルカはシュウの顔を見上げる。
「今のところって言うのは?」
「来年も君と一緒にいられたら、もっといいことがあるんだろうなって。君もそう思わないかい?」
優しく笑って見下ろしてくるシュウ。
その笑顔は昔のままで、でも昔とは違う。
少しずつだけど成長していってるのだ、彼も自分も。
「……そうなったらいいかも。」
一緒に成長していけたらと思う。
一緒に同じものを目指して、一緒にわき目も振らず走って、一緒に笑い合って。
一緒に、ずっと。
ハルカはシュウの腕の中で自分の体をクルリと反転させて彼に向き直る。
そのまま広い胸にぎゅっと抱きついた。
「今年も楽しかったけど、来年はもっと楽しいことがあるのね。」
「楽しいことが向こうからやってくるんじゃなくて楽しくするのさ、ぼく達二人で。」
シュウはハルカを抱きしめ返した。
シュウはハルカの頭越しに窓の外を眺める。
町の光が強まってきたようだ。
「ハルカ、もうすぐ新しい年が来るよ。」
その言葉にハルカが再び窓に顔を向ける。
「今年にさよならを言わないとね。」
「……さよならじゃないわ。」
ハルカが瞳に町の光を映したままで言う。
「だって、今年はもうわたし達の中にあるもの。言うんだったら、新年に『始めまして、これから仲良くしてね。』じゃない?」
「君はいつも珍しいことを言うね。」
先を促すと、ハルカは自身の瞳から町の光を消し、新緑色を灯す。
「過ぎた時間はね、どこか手の届かない所に行ってしまうんじゃなくて、わたし達の中に降り積もるのよ。」
「シンオウの雪みたいに?」
「そう、シンオウの旅の思い出がわたし達の中に降り積もっていくように。」
ハルカがシュウを抱きしめていた手を解く。
その手でシュウの頬を柔らかく挟んだ。
「わたしがあなたに出会って、ライバルとして張り合ってきて、あなたと同じものを目指すようになって。」
それは今でも変わらないけれど、とハルカは続ける。
「そこに新たな関係が加わったように、いままで積み重ねてきた時の上に今年が降り積もる。」
シュウはふと微笑んだ。
「確かに、ぼく達は恋人同士になってもライバルのままだね。特に君はコンテストでぼくに負けた日はなかなかキスしてくれない。」
「なっ!」
ハルカが赤面する。
「人が真面目に話してるのに茶化さないでよ!」
「いいじゃないか、事実なんだし。」
頬から手を離して悔しそうに唸るハルカの頭を撫でる。
こんな風に口喧嘩をする時間は昔から変わらない。
そして、これからも続いていくだろう。
しかし――
「それでもキスしたら受け入れてくれるようになった。」
昔はキスすることなんて出来なかった。
ずっと好きだったこの女性に。
「あ、あれはいつまでも敗北を引きずっていられないと言うか、勝ったのに寂しそうなシュウを見てられないと言うか……。」
しどろもどろになったハルカを抱きしめる。
いつまでもライバルだけど、やっぱりぼくらは恋人同士。
「ハルカ。」
愛しい女性の名前を呼ぶ。
「ぼくの今年に最後の贈り物をしてくれるかい?」
「贈り物?」
「そう、贈り物。」
シュウは先程までハルカがしていたように、彼女の頬を柔らかく包み込む。
「今年はぼくの望みが叶った年。君と歩めるようになった年。その年に君からの贈り物を。」
コツンと額をくっつけると、ハルカはその綺麗な瞳で見つめ返してくる。
「あなたもわたしの今年に贈り物をくれるのなら。」
「なら、愛しい君の時間に最高の贈り物を。」
シュウはハルカに口付ける。
そのまま長いキスを贈った。
熱っぽい中にも優しく、穏やかな中にも狂おしく。
ハルカへの愛情を込めて。
目を閉じて柔らかい唇を感じていると、まぶたの上で光が瞬いた。
薄目を開けると、窓の外に花火が咲いていた。
ああ、新年がやってきた。
シュウは唇を離す。
「ハルカ、明けましておめでとう。」
「……明けましておめでとう、シュウ。」
大きな花火の音に比べてとても小さな声。
それでも、その綺麗な声はシュウの耳に心地良く響く。
「そして、去年最後の贈り物と今年最初の贈り物をありがとう。」
潤んだ瞳を見つめてお礼を言うと、ハルカは耳まで真っ赤に染めて胸に額をうずめてしまった。
シュウは愛しげに隠れた顔を見やり、その体を抱きしめる。
「今年もよろしく、ハルカ。ぼくと時間を紡ぐひと。」
「……よろしく、シュウ。」
顔を上げないままで、それでも背中に腕を回すハルカ。
その温かさを感じ、シュウは幸せそうに微笑んだ。
今年もいい年になりそうだ。