風邪引きさんの事情 (前編)
今日、シュウが珍しく学校を休んだ。
先生が言うには風邪らしい。
へぇ、頭が良くても風邪を引くときは引くんだ。
とにかく、今週末、つまり昨日から、またシュウの両親は旅行に出掛けているらしい。
これはこの間、シュウから直接聞いたんだけど。
その時、また泊まりに来ないか誘ってきたけど、体がもたないわよ!って言って断った。
でも……シュウ、独りで大変じゃないかな。
そう思ったら、シュウのことばかり気になって、学校が終わったら、シュウの家に向かっている自分がいた。
ちなみに、ママには「両親が旅行に行っちゃって家に独りなのに、風邪引いて大変そうな友達を看病しに泊まってくる。」って事情をそのまま言っておいた。
ママは快く送り出してくれたんだけど。
……お見舞いに持って行くように言われたこの大量のみかん、どうにかならないかな。
重たいし、腕がだるいし、何より歩きづらい。
早くシュウの家に着かないかな。
やっとシュウの家に着いた。
シュウの家の門に付いているインターホンを鳴らす。
しばらくして、シュウ本人が出てきた。
まあ、シュウしか家に居ないんだから当たり前なんだけど。
「……はい、どちら様ですか?」
「あ、シュウ?わたし、ハルカよ。風邪引いたって聞いたんで、お見舞いと看病に来たの。」
「へぇ、君が自分からぼくの家に来てくれるなんてね。」
「茶化してないで早くこの門開けてほしいかも。」
シュウの家はお屋敷と言っていいほど大きいから、門と家がかなり離れている。
門は向こうから操作して開けてもらわないと開かないのだ。
「はいはい、ついでに玄関の鍵も開けておくから入ってきていいよ。」
会話が途切れてすぐに門が横に開く。
わたしは玄関に向かって歩いていった。
「いらっしゃい、ハルカ。」
「お邪魔します……って何で起き上がってるのよ!ベッドに入ってなさい!」
シュウはパジャマ姿で玄関に立っていた。
「玄関の鍵までは遠隔操作できないよ。ぼくが直接開けるしかないだろう?」
「……つまり、起き上がってるのはわたしのせいって言いたいのね。」
「よく分かってるじゃないか。」
シュウの嫌味は風邪を引いていても健在だった。
「ところで、その重そうなビニール袋は何だい?」
シュウがわたしの下げた袋を指して尋ねる。
「ああ、これ、ママがお見舞いならみかんだって。丁度うちに沢山あったし。」
「それはありがたいね。風邪にはビタミンCがいいから。冷蔵庫に入れておくよ。」
「それはわたしがやっておくから、シュウはベッドに戻ってなさい!」
はいはいとシュウはクスクス笑いながら部屋に戻る。
……本当にあれで風邪を引いてるのかしら。
ひとまず、みかんを冷やしに台所へ向かった。
「シュウ、起き上がってないで寝てなさいって言ったでしょう!」
シュウはベッドの上に座って本を読んでいた。
「暇だったからね。静かにしているのはいいけど、ただベッドに寝ているだけなんて、ぼくの性に合わない。」
「病人は看病してくれる人に逆らわないものなの!」
わたしはシュウから本を取り上げる。
「それでシュウ、具合はどうなの?」
シュウはベッドに横たわりながら言う。
「大したことはないよ。咳や鼻水も出ないし、喉も頭も痛くない。ただ熱が40度近くあるだけで。」
「十分大事じゃないのよー!」
頭を抱えて叫ぶ私に、やっぱりシュウはクスクス笑う。
「でも、君が来てくれたんだから、すぐに良くなるよ。君はやっきになって、ぼくの熱を下げようとするだろうから。」
「当たり前でしょう!もうすぐ夕食の時間だから、何か食べたい物作ってあげるわ。」
「へぇ、君のことだから病人にはお粥が一番って言うかと思ったのに。」
そりゃ普通はそう言うわよ。
「シュウは食欲なさそうに見えないもの。それだったら、栄養のある物を食べた方がいいでしょう?それで何が食べたいの?」
シュウはやっぱり笑いながら、わたしの顔を見上げる。
「君が食べたいな。」
「は?」
シュウはわたしの手を握る。
「だからハルカ、君が食べたい。」
そのままベッドに引き寄せようとするから、わたしは思いっきりその手を振り払った。
「病人が疲れるようなことをするんじゃないの!」
「風邪を治すには汗をかいた方がいいんだよ。」
「汗のかき方にもよるでしょう!」
わたしはシュウとの会話を打ち切って、そのまま扉へ向かう。
「とにかく、何か栄養があって消化に良さそうな物作ってきてあげるから、大人しく寝ていなさいよ!じゃないと許さないかも!」
「はいはい。」
扉を閉める時に振り返って見たシュウは、やっぱりクスクス笑っていた。
……何がそんなにおかしいのかな。
シュウはわたしがベッドに食事を運んできた時も、食事中も、それが終わった後も、ずっとクスクス笑って上機嫌だった。
君の手から食べさせてほしいなんて言ってたけど、もちろん断ったわ。
全く子どもじゃないんだから。
手酷く断られて、それでもシュウは笑い続けていた。
今、シュウはお風呂に入っている。
わたしが入った後、入ろうとしたから病人はやめた方がいいって言ったんだけど。
「軽く汗を流す程度なら入った方がいいんだよ。衛生的だしね。」
とか何とか言ってお風呂に入っている。
……悪化したって知らないかも。
そんなことを考えているうち、シュウが部屋に戻ってきた。
「あー、シュウ!ちゃんと髪の毛乾かしなさいよ!風邪が酷くなるでしょう!」
「面倒だし、別にいいよ。」
「良くない!今ドライヤー持ってくるから、そこで大人しくしてなさい!」
わたしに怒られているというのに、やっぱりシュウはクスクス笑っていた。
シュウの髪の毛をドライヤーで乾かして。
お風呂上りの水分補給に冷やしておいたみかんを二人で食べて。
歯を磨いたり、色々寝る準備をしているうちに、かなり遅い時間になってしまった。
「さ、シュウ。病人はもう寝てないといけない時間よ。」
「まあね。君はもちろんここで寝るんだろう?」
寝転んでいるシュウが自分の隣をポンポンと叩く。
「今日は別の部屋で寝かせてもらうかも。シュウの風邪が酷くなったら大変だし。」
「そんなこと言わずに。」
クスクス笑いながら、シュウはわたしの腕を引く。
油断していたこともあって、気が付いたらシュウに組み敷かれていた。
「病人は大人しくしなさいって言ったでしょう!」
「いいじゃないか。添い寝してくれるくらい。」
シュウの手がわたしのパジャマのボタンを外していく。
その手はとても熱かった。
「やめなさいって言ってるでしょう!」
わたしはシュウの身体を押し返す。
シュウはパタンと私の隣に転がった。
……あれ?
いつもだったら、どんなに強く押してもビクともしないのに。
シュウがこちらを向く。
「抵抗されたら抱けないじゃないか。今のぼくはあまり力が出ないのに。」
やっぱり、大したことないなんて言ってても、体はふらふらなんだ。
「こんなことしてないで大人しく寝なさい!」
叱り付けてもクスクス笑うばかり。
……ここまで笑われると、何だか気味が悪くなるわね。
熱のせいでおかしくなっちゃったのかも。
「分かったよ。大人しく寝るから、ぼくのお願い聞いてくれる?」
「…わたしを抱くとかそういうことじゃないなら。」
「うん、じゃあ、服を脱いでもらおうかな。」
「全然分かってないじゃない!」
シュウは熱のせいでおかしくなっちゃったんだ。
間違いないかも。
「君を抱いたりしないよ。ただ服を脱いでほしいだけだ。」
「本当……?」
「もちろん。」
クスクス笑いながら言う。
……病人のお願いも聞いてあげないとね。
我ながら甘いと思うけど、シュウに背を向けて、服を全部脱いだ。
そして、シュウを振り返ると――。
「何でシュウまで服脱いでるのよ!」
「いいじゃないか。そんなことより――。」
シュウはわたしを抱き寄せた。
「約束が違うかもー!」
「違わないよ。ぼくは君と一緒に寝たかっただけだ。」
シュウがわたしを抱きしめたまま横になる。
「ハルカ。」
「何よ。」
わたしは警戒しながら返事をする。
「今日は来てくれて本当に嬉しかった。ありがとう。」
「え…?」
あのシュウが素直にお礼を言ってる?
「本当は独りで少しだけ寂しかったんだ。だから、君が来てくれて嬉しかった。」
そう言って、また笑う。
もしかして、わたしが来て独りじゃなくなったから笑ってたんだろうか。
今の今までずっと笑い続けるほど嬉しかったんだろうか。
「どういたしまして……。」
そう思ったら、何だかたまらなくシュウが愛しくなった。
でも――。
「それとこれとは話が別かも!どうして、わたしは裸でシュウに抱き締められてるのよ!?」
「ああ、それは、今日初めて君の手に触った時、冷たくて気持ち良かったから。」
思った通り、君の体も冷たくて気持ちいい――シュウはそう言って、わたしを強く抱きしめる。
「……わたしは氷枕代わりってわけ?」
「氷枕は頭しか冷やさないけど、君は全身冷たくて気持ちいいじゃないか。柔らかいし。」
シュウはわたしの胸に頬をすり寄せる。
シュウの身体は――熱くて気持ち良かった。
「……しょうがないわね。今日はこれで添い寝してあげるわよ。」
シュウの頭を撫でながら目を閉じる。
「ありがとう、ハルカ。」
クスクス笑いは、そのうち穏やかな寝息に変わった。
翌日、シュウの熱は完全に下がっていた。
「わたしの看病が効いたのね。」
「そうだね、ハルカ。本当にありがとう。」
でも、シュウのクスクス笑いはそのまま。
……本当に熱でおかしくなってないでしょうね。
「お礼に、君が熱を出したときは、ぼくが裸で添い寝してあげるよ。」
「結構かも!」
シュウ、本当に熱でおかしくなったのかも……。
わたしの心配を余所に、シュウは今日も一日クスクス笑いっぱなしで上機嫌だった。