補習時間のお菓子



 

 

 

 



土曜日の昼下がり、教室のドアを開けたシュウは驚いた。

休日の学校にいる生徒は少ない。

部活動の生徒がかろうじているくらいだが、それでも試験前一週間ということでかなり少なくなっている。

それなのに、教室の隅に女子生徒が一人。

「どうして君がここにいるんだい、ハルカ?」

その声に、自分の席でノートを広げていたハルカは顔を上げる。

「シュウこそ今日は休みなのに、どうして学校に来てるの?」

「ぼくとしたことが、昨日教科書を一冊忘れてね。試験勉強にどうしても必要だったから取りに来たんだ。」

シュウは自分の席に向かい、机から忘れていた教科書を取り出す。

いつもは机に教科書を置き忘れていたりしないのに、こんな忙しい時に限って忘れてしまう。

シュウは自分に呆れながら教科書を取りに来たのだが、ハルカがいたことで若干機嫌が良くなる。

「それで、君はどうしてここに?」

「補習受けてたの。」

「……そんなに成績が落ちてたなんて知らなかったよ。」

「違うわよ!」

立ち上がって大声を出すハルカに近づく。

ハルカの前の席の椅子を引いて後ろ向きに座った。

「君も座りなよ。勉強してたんだろう?」

シュウの言葉にハルカも渋々腰を下ろす。

「……別に、成績が落ちたから補習受けてたわけじゃないかも。」

ハルカがそっぽを向きながら話す。

「この間、風邪引いて何日か学校休んじゃったから、特別に補習を受けさせてもらってたの。」

「随分と勉強熱心だね。前々から君のようなタイプは珍しいと思ってたけど。」

シュウは何度目かも分からない賛辞を贈る。

これを賛辞と受け取る人間は少ないだろうが。

案の定、ハルカもそうとは受け取らなかったらしい。

じろりと視線だけをシュウに向ける。

「……それ、わたしみたいなのはバカが多いって言ってるようにしか聞こえない。」

「そうは言ってないだろう。珍しいと言ってるだけさ。」

シュウはハルカの横顔を眺めながら続ける。

ハルカは明るく賑やかで可愛い運動神経抜群の人気者。

普通、こういう人間は勉強が苦手と相場が決まっているのだ。

なのに、ハルカの成績は悪くない。

それどころか良い。

それはシュウと同じクラスにいることからも分かる。

シュウとハルカは中高一貫教育を実施する私立の中学三年生。

中高一貫教育はシビアで、学力別にクラスが分けられる。

そして、中学生であるにもかかわらず、高校の単元までも勉強するのだ。

それにはある程度の学力が要求される。

入学した時から学年トップだったシュウは、学年が上がるともちろん特進クラスに入れられた。

そして、同時にハルカも特進クラスに入ってきたのである。

「君みたいなタイプは勉強が嫌いな人が多いと思うだけさ。」

「……だから、それをバカって言うのよ。」

「そうとは言ってないんだけどな。」

シュウは機嫌の直らないハルカから、ハルカの広げていたノートに視線を移す。

「ふうん、なかなかやるじゃないか。正答率が結構高い。」

「勝手に見ないでよ!」

ハルカがノートを体で隠す。

そのまま上目遣いでシュウを見上げた。

シュウはその睨みつけているらしき視線を受けて笑う。

「ほら、勉強の続きをしなくていいのかい、ぼくのライバルさん?」

「……するわよ。今度こそシュウに勝ってやるんだから。」

ハルカが体を起こして、再びシャーペンを手に取るのをシュウは楽しそうに見ていた。




いつかハルカに言われたことがある。

シュウにだけは負けたくないと。

その理由を聞いたところ、ハルカがぼくをライバル視していることが判明した。

もちろん、そう思われているんだろうとは薄々感じていたけれど。

この学校に入学して、ハルカに出会った時から色々とちょっかいを出してきたから。

ちょっかいか……ぼくはクスリと笑う。

ハルカはちょっとつつくとすぐに反応して、ぼくに突っかかってきていた。

それが面白くて、ハルカがぼくを見てくれるのが嬉しくて、ぼくはさらにちょっかいを出したものだった。

ハルカはそれが悔しかったのだろう。

いつの間にか、ぼくをライバル視するようになっていた。

ライバル、唯一にして絶対の存在。

それだけでも満足だったけど、ぼくが本当になりたいものはそれじゃなかったから。

だから、ライバルとしてぼくに向かい合っていた彼女を引き寄せて抱きしめた。

それからぼくらはライバル兼恋人同士。




「ねえ、ハルカ。」

「何よ。」

シュウの声にハルカは数式を解く手をとめずに答えた。

「君が勉強熱心なのは、ぼくに勝ちたいから?」

「そうね、それだけじゃないけど。」

ハルカが顔を上げて答えてくれない。

それがつまらないシュウはハルカの手からシャーペンを取り上げた。

「あ、返しなさいよ、シュウ!」

「ぼくの質問に答えてくれたら返してあげるよ。」

ハルカの手が届かないところでシャーペンをクルクル回す。

ハルカは悔しそうに唸っていた。

これだから、いつまで経ってもハルカはシュウをライバル視するのだろう。

そして、シュウもハルカが自分だけに構うのを喜ぶのだろう。

二人は恋人兼ライバル同士。

「ほら、答えないと勉強できないよ?」

シュウの笑いを含んだ声に、ハルカは諦めたようにため息をつく。

「シュウに勝ちたいっていう理由だけで勉強するなんてもったいないじゃない。せっかく勉強するんだったら、色々なことに役立てたいわよ。」

「へえ、君みたいなタイプは、勉強したって生きていくのに役に立たないって言い出すのがパターンなんだけどね。」

「また遠回しに人をバカにして……。」

ハルカは筆箱から新しいシャーペンを取り出した。

「勉強が役に立たないなんて思わないわ。こうやってシュウと話せるのも言葉を勉強した結果でしょ?わたし達が今勉強してることは即戦力にはならないかもしれないけど、知らないより知ってた方がいつか必要になったとき困らないわ。」

ハルカの言葉にシュウは感心したように言う。

「君のような――。」

「タイプがこういうことを言うのは珍しいんでしょ?分かってるわよ、柄じゃないなんてことは。」

ハルカはノートにシャーペンを走らせる。

「勉強は嫌いじゃないわ。でも、それよりも好きなことは沢山あるの。わたしだって勉強のことは忘れて遊びたいって気持ちはあるわよ。」

数式を刻むリズミカルな音が小さく響く。

「でも、シュウに負けたくないって気持ちは何よりも強いから。だからやっぱり、勉強するのはシュウだけが理由じゃないけど、シュウが理由かも。」

「そうか、それは嬉しいね。」

シュウは再びハルカの手からシャーペンを取り上げた。

「もう!いい加減にしてほしいかも!」

ハルカがシャーペンを取り戻そうと手を伸ばす。

「君が使うのはこっち。」

シュウは前に手にしたシャーペンをハルカに持たせた。

「何だい、ハルカ?」

シュウは手に持ったシャーペンと彼を交互に見比べているハルカに問いかける。

「……シュウって時々やることの意味がわかんないかも。」

「君は知らなくていいんだよ。」

「何よ、それ。」

ハルカは呆れたようにシュウを見ていたが、やがてノートに目を落とした。

それを見ながらシュウは思う。

そう、君は知らなくていい。

勉強する理由を聞くのも、シャーペンを取り上げるのも全部、君の目にノートではなくぼくを映させるためだということなんて。

君は知らずにぼくに構ってくれればいい。

どんな形であれ、君と話していられるのは嬉しいんだから。

シュウは取り上げた二本目のシャーペンを回しながらハルカを見ていた。




しばらくシュウはハルカを眺めていたが、ハルカの左手が机に置かれていた何かの袋を探っているのに気付いた。

「何してるんだい、ハルカ?」

「おなか空いたから、アメ食べてるの。」

ハルカは取り出したアメを口元へ持っていく。

包み紙をくわえて解き、アメを口に入れた。

「そういえば、補習は午前中で終わってるはずだったね。じゃあ、君はお昼も食べずに勉強してたのかい?」

「だって、そうでもしないとシュウに勝てないんだもん。家に帰っちゃったら、誘惑が多すぎるし。」

「だからって、君がお昼を抜くなんてね……。」

シュウは呆れる。

ハルカは何よりも食い気が優先する女の子なのだ。

なのに、昼食を抜いてまで勝負にこだわるなんて、これは本気で勝とうとしているらしい。

「でも、やっぱり、食事を抜くのは良くない。勉強すると血糖値が下がるんだから。」

「だからアメ食べてるじゃない。」

「そんなので補えるわけないだろう。」

シュウは椅子から立ち上がる。

「ぼくの家においで、ハルカ。」

「え?」

「簡単な物で良ければ作ってあげるよ。君の家とは逆方向だから少し歩くことになるけどね。」

シュウとハルカの家は学校を挟んで反対の方向にある。

どちらも歩いて通える距離なので、歩くことになると言っても大したことはないのだが。

「で、でも、シュウだって学校には教科書取りに来たんでしょ?勉強の邪魔になるんじゃない?」

「食べた後、一緒に勉強すればいいだろう?一人だと集中が途切れやすいけど、二人だったら勉強も続きやすい。」

「でも、わたしが行って迷惑にならない?やっぱり、ご飯作る時間がいるし、シュウの勉強のペースだってあるんだし……。」

まったくもって強情な。

シュウは肩をすくめる。

いつもは元気一杯にこちらの都合なんか考えずに飛びついてくるのに、こういう時は何故か遠慮深くなる。

「まあ、確かに、食事を作る手間なんかはかかるけどね。」

「だったら、わたしなんて呼ばない方がいいよ……。」

「そうは言ってないだろう。ぼくは君を家に招きたいんだ。」

そこでシュウはふと思いついた。

「……まあ、君がどうしても気が引けるって言うんだったら、お代でも貰おうかな。そうしたら君も納得してくれるだろうしね。」

「でも、わたし、お金持ってないかも。」

「お金なんて貰う気ないよ。」

シュウは椅子に座ったままこちらを見上げるハルカの顔に手を添える。

「お代はコレ。」

そのまま、ハルカの唇に自身の唇を合わせた。

驚いて身を引こうとするハルカの後頭部にもう一方の手を回し、深く口付ける。

舌を入れ、中を探っている内に、目的の物を見つけた。

「……これで君も遠慮することないだろう?」

甘いハルカの唇を離す。

シュウの口の中には、今までハルカの唇を甘くしていたアメがあった。

「……遠慮するどころか、きっちりお代分ごちそうしてもらわないと割に合わないわよ。」

ハルカが顔を真っ赤にしながら唇を拭っている。

「可愛いね、ハルカ。」

シュウは教科書を手に取って、教室のドアまで歩いていった。

「ほら、ハルカ。早く用意しないと置いていくよ。」

「あ、待ってよ、もう!」

ハルカが慌ててノートや二本のシャーペンを片付けるのをシュウは満足げに笑いながら見ていた。




二人は廊下を歩いて靴箱に向かう。

「しかし、このアメ、大きさの割に脆いね。」

「ああ、それは内側にヨーグルト味のパウダーがつまってて……ってもう食べちゃったの!?外側分厚いから舐め終わるのに時間かかるのに!」

「アメってつい噛んじゃうんだよね。」

シュウの返答に、ハルカはどこかを向いて考えている。

「やっぱり、その通りかも……。」

「何がその通りなんだい?」

階段を下りるため、ハルカも視線を階段に落とした。

「この間、テレビでやってたの。アメ噛んじゃう人の話。」

「で、そのテレビは何て?」

「アメを噛む人は嫉妬深くて子どもっぽいんだって。」

「……。」

階段を下りながらハルカは続ける。

「シュウが嫉妬深いっていうのはホントよね。それから、クールに見えて意外と子どもっぽいところあるかも。」

「……ぼくのどこが嫉妬深くて子どもっぽいんだい?」

「わたしが告白されると終わった後にどこからともなくやって来て無理矢理キスするところとか。」

即答されてシュウはつまる。

しかし、すぐに余裕を取り戻して髪をかき上げた。

「そんなのかなり前に何度かしただけだろう?それをずっと根に持ってるなんて、君の方が子どもっぽいんじゃないのかい?」

「何ですって!?」

二人は口喧嘩をしながら階段を下り切った。

階段のすぐ傍が目的の靴箱。

二人は自分の靴を取り出そうと、靴箱を開ける。

「……手紙?」

ハルカの呟きにシュウの肩がピクリと動く。

「朝来た時は無かったのに……。土曜日に入れたってことは、あんまり急ぎじゃないのかも。」

ハルカは手紙を取り出して裏返す。

「差出人は……知らないけど男の人ね。」

「ハルカ。」

「きゃっ!」

いつの間にか、シュウがすぐ隣に来ていた。

「いきなり耳元で声出さないでよ!ビックリするじゃない!」

シュウはハルカの言葉を無視して手を差し出す。

「……何よ。」

「貸して。」

「何する気よ。」

「燃やす。」

即答するシュウにハルカは呆れる。

「シュウ、こういうのには込められた心があるのよ。そんなことしたら、送り主が可哀相でしょう?」

「どうせ断るんだろう?君にはぼくがいるんだから。だったら、燃やしても差し支えない。」

「あるわよ、ありすぎよ。シュウ、嫉妬深すぎよ。」

ハルカはラブレターらしき手紙を鞄にしまう。

それを見て、シュウはますます眉根を寄せた。

「貸すんだ、ハルカ。」

「返さないのは借りるって言わないのよ。」

「じゃあ、よこすんだ。」

「わたしの貰った手紙よ。」

「君はぼくのものだろう。だったら、君の物はぼくの物だ。」

その言葉に、ハルカは脱力する。

「どれだけ子どもなのよ、シュウ……。アメ噛んじゃう人の話は本当ね。」

ハルカは靴を履いて歩き出す。

それを追いかけ、シュウも校舎を出た。

「昼食にデザートも付けてあげるから。」

「物で釣ろうとするのは幼稚って言うのよ。」

「……君が告白場所に行こうとしたら、力尽くでも止めるよ。」

「力で解決しようとするあたり、ホント子どもよね。」

「仕方ないだろう。断るんだとしても、君が他の男に構うのは嫌だ。」

「男のやきもちは美しくないわよ。」

追いかけるシュウと冷たく突き放すハルカ。

補習時間が終わっても、二人のじゃれ合いは終わらなかった。

 

 

 

 

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