新緑の森のダンジョン 5
ロゼリア達にシュウのことを聞いた夜、わたしは家に帰った後もなかなかシュウの顔を見られなかった。
「どうしたんだい、ハルカ?」
シュウが話しかけてきたのは、ちょうど水を切ったお皿を拭いている時だった。
ビックリして、思わず手に持っていたお皿を落としてしまう。
「っと、危なかったね。」
お皿を洗っていたシュウが、慌てて床に落ちる前にお皿を受け止めてくれた。
濡れた手でそのお皿を差し出してくる。
「本当にどうしたんだい?ずっとぼんやりしている。」
シュウが心配そうにわたしの顔を覗き込んでくる。
手を拭いて、わたしの額に手の平を当てた。
「熱があるわけじゃないけど……みんなと遊びすぎて疲れたのかい?」
「そうかも……。」
本当はそうじゃないと知っていたけど、わたしは少しだけ嘘をついた。
シュウが親切にしてくれるのが何故か痛かった。
「だったら、もう休んでおいで。ここはぼくがやっておくから。」
「うん……ありがとう、シュウ。」
わたしはキッチンから出た。
リビングのソファーに寝転ぶ。
動く気が起きなかった。
だから、ソファーに横たわったままで部屋を見渡す。
新しいとは言えないけど、手入れの行き届いた家。
こんな森の奥深くにポツンと立っている家。
ずっと前に彼と同じような人間嫌いの人に建てられたんだろうか。
この家も独りぼっちなのかな。
やっぱり、部屋も見ていられなくて目を伏せた。
ずっと頭の中をぐるぐる巡っているのは、今日ロゼリア達から聞いたこと。
シュウは自分のことを嫌い。
とても悲しかった。
何でこんなに悲しいんだろう。
別に、わたしが嫌われているわけじゃないのに。
わたしがシュウに嫌いって言われてるみたいでとても泣きたい気分だった。
……ああ、わたしの好きなものをわたしの好きな人が嫌いって言ってるから悲しいんだ。
わたしはシュウが好きなのに、シュウはわたしの好きなシュウが嫌い。
それで自分まで否定されたような気分になるのは、わたしの勝手でしかないけれど。
でも、やっぱり、わたしはシュウが好きで、いつも笑っていてほしいと思ってる。
ロゼリア達はわたしが来てからシュウが笑ってくれるようになったと言っていた。
……よく分からない。
わたしにとって、シュウが笑いかけてくれるのは当たり前のことだったから。
好きな人がずっと笑ってくれないってどんな気分なんだろう。
やっぱり痛いのかな。
だから、ロゼリア達はその痛みを和らげたわたしが好きなのかな。
シュウが昔好きだったっていうエネコと同じように。
……エネコか。
シュウ、わたしがエネコだから、わたしとそのエネコと重ねて見てるのかもしれない。
絶対そうかも。
そのエネコとわたしを同じように考えてたから、あんなに親切だったんだ。
……もしかしたら、さっき親切なシュウの傍にいたくなかったのは、そのエネコのことを思い出したくなかったからなのかもしれない。
喉に手を当てる。
硬い感触があった。
首に嵌められた白い輪っか。
わたしがシュウじゃない人の所にいたっていう証。
初めて、この輪っかを外したくなった。
外し方が分からないから外せないし、エネコだった頃のことを思い出せそうな気がするから、やっぱり外したくないんだけど。
何だか悔しかった。
シュウを笑わせることが出来たエネコ。
シュウは優しい顔でそのエネコに笑いかけていたんだろうか。
落ち着きの無いエネコにため息をつきながらも、声を上げて楽しそうに笑っていたんだろうか。
今よりも幸せそうに。
「ハルカ、こんな所で寝ていると、本当に熱を出してしまうよ。」
シュウが洗い物を終わらせてソファーにやってきた。
枕元に座って頭を撫でてくれる。
でも、その手はすぐに離されてしまった。
シュウは持ってきた分厚い本を広げて読み始めた。
……シュウが構ってくれないのは寂しい。
それがあのエネコとわたしを重ねて見ている優しさだとしても、やっぱりシュウがこっちを見てくれないのは嫌。
わたしはソファーの上を移動して、シュウの膝に頭を置いた。
シュウの服が視界いっぱいに広がる。
「ハルカ、本が読めないんだけど。」
「……。」
わたしはシュウの顔を見ないまま、シュウの上着を掴んだ。
ぎゅっと掴んで放さないでいると、シュウの戸惑っている気配がした。
読書の邪魔はしたくなかったけど、それよりもシュウにわたしを見てほしかった。
しばらく黙っていると、パタンという音がした。
本を閉じた音。
「……仕方ないね。ハルカはわがままなんだから。」
少し顔を上げると、シュウが困ったように笑っていた。
「ぼくに何してほしいんだい?」
「え?」
「ぼくに構ってほしいんだろう?」
バレていた。
それがわかってしまうと、途端に恥ずかしくなる。
それでも、シュウの膝も、掴んだ上着も、心地良かったから放さなかったけど。
シュウは本を隣に置いた。
「何をお望みかな、この甘えん坊のエネコは。」
シュウは優しく頭を撫でてくれる。
「……もっと撫でて。」
シュウに撫でてもらうのは大好き。
シュウはそのお願い通り、頭を撫でてくれる。
シュウの手の感触を楽しんでいる時、ふと思いついた。
頭を撫でてもらうのがこんなに気持ちいいんだから、シュウの腕はもっと気持ちいいのかも。
そう思って起き上がる。
「ハルカ?」
いきなり起き上がったわたしをシュウは眺める。
頭を撫でてと言ったり、そうかと思えば起き上がったり。
シュウの言う通り、わたしはわがままなのかもしれない。
それでもいい。
シュウがわたしを見ていてくれるんだから。
わたしはゆっくりシュウに抱きつく。
胸に顔をうずめると、シュウの匂いがさっきよりも強くした。
……この匂いも好きかも。
「シュウ、抱きしめてよ。何でもしてくれるんでしょ?」
「何でもするとは言ってないんだけど……。」
シュウは困ってるみたいだった。
なかなか抱きしめてくれない。
それでも抱きついていると、おずおずと背中に回る手を感じた。
「……もっと強く。」
力が弱くて抱きしめられてるって感じがしない。
シュウが深くため息をついた。
……何でそこでため息つくのよ。
でも、その後、ぎゅっと抱きしめてくれたから、シュウのため息なんてどうでもよくなった。
やっぱり、彼の腕の中は気持ち良かった。
温かくて、優しくて、いい匂いがして、思わず泣いてしまいそうなくらいに。
ずっと抱きついていると、シュウが頭を撫でてくれた。
その手の動きが上を向いてごらんって言ってるみたいだったから、顔を上げてみる。
そうすると、シュウは微笑んでくれた。
ああ、やっぱり、シュウの笑ってる顔が一番好き。
わたしも笑い返して、またシュウを抱きしめる腕に力を込めた。