新緑の森のダンジョン 2
わたしがシュウと一緒に暮らし始めてから数日が過ぎた。
その間に分かったこと。
まず、わたしは本当に人間になってしまったらしい。
すぐに戻るかと期待していたけど、全く戻らなかった。
それどころか、どんどん人間の感覚に近づいているような気がする。
次に、わたしは子どもというより大人に近いらしい。
シュウは、「ぼくと同じか、ぼくより一つ下くらい。」と言っていた。
ちなみに、シュウは18歳。
……18年生きてるってことは、ポケモンだと結構なおじさんになってるんだけど、人間は成長が遅いらしい。
それでもまだ完全に大人じゃないんだとか。
鏡を見せてもらったら、女の人がこちらを覗き込んでいた。
女の人なのに、何だか幼い感じ。
隣に立っていたシュウを見上げる。
シュウと比べると、確かに年下って感じだった。
分かったことの3つ目。
これはシュウのこと。
彼は一人でこんな深い森の奥に住んでいた。
でも、本当に一人というわけじゃなくて、いつも森のポケモン達が遊びに来る。
遊びに来る顔は決まっていて、全部で5人。
人間の言葉でロゼリアという綺麗な薔薇のポケモンが一番よく遊びに来る。
何だか図鑑で見た普通のロゼリアよりもずっと大きな気がするけどロゼリアだ。
それから、アメモースとバタフリーが連れ立って遊びに来る。
綺麗な羽をひらひらさせて飛んでくるのが遠くからでも見える。
それからアブソル。
いつもこの家を目指して、疾風のように駆けて来る。
よく分からないのがフライゴン。
確か、フライゴンは森のポケモンではなくて、砂漠とかそういう所に住んでいるポケモンのはず。
なのに、どうして、そのフライゴンが森で暮らしているんだろう。
聞こうと思ったけど、今のわたしはポケモンの会話の仕方も忘れてしまったらしい。
相手が何を言ってるのかは分かる。
でも、ポケモンの言葉が出なくなってしまっていた。
だから聞けない、会話が出来ない。
そんなわたしの頭をシュウはいつも撫でる。
「君はポケモンと会話できなくなってしまったかもしれないけど、代わりにぼくと話せるようになったんだから、そんなに悪いことばかりじゃないだろう。」って。
シュウと会話するのとポケモン達と会話するの。
どっちが大切かなんて言うまでもない。
ポケモン達、わたしの仲間達の方が大切。
……覚えてないけど。
シュウは無言だったわたしの心をちゃんと分かっているらしい。
「いつか仲間のことも思い出せるといいね。」って言って、もう一度頭を撫でてくれた。
……シュウも少しは大切って思ってもいいかも。
分かったことの4つ目。
シュウは変わってるけど優しい人だった。
「ハルカ、ちょっと手伝ってくれ。」
わたしが庭の果樹園と野菜畑で水遣りをしていると、家の中からシュウの声がした。
シュウが何かを手伝ってほしいなんて珍しい。
パタパタと家に駆け込む。
「なあに、シュウ?」
「こっちに来てくれ。」
家の奥、わたしの部屋として彼が与えてくれた部屋の方で声がした。
ドアが開けっ放しだったので、部屋を覗き込む。
「……何やってるの、シュウ?」
シュウは床に座り込んで、白くて大きな布の袋を部屋いっぱいに広げていた。
「君のベッドを作ってるに決まってるじゃないか。」
シュウは当然のように言う。
……そのベッドというもの、よく分からないんだけど。
ポケモンの頃はベッドというもので寝ていなかったと思う。
初めてここに来た日、床で寝ようとしたら、慌てて止められた。
シュウは自分のベッドを貸してくれようとしたけど、それはキッパリ断った。
知らない人の匂いが付いている所じゃ眠れない。
それで、押し問答の結果、ソファーがわたしの寝床になった。
なのに、シュウはわたしのベッドを作ろうとしている。
……世話好き。
ここ数日、シュウは部屋に木の板を運び込んだり、トントンカチカチと音を立ててそれを組み立てていた。
「ハルカ、これをシーツに詰めてくれ。」
シュウが白い袋と、いくつもの大きな籠に入ったもこもこを示して言う。
わたしはもこもこの入った籠を覗き込んだ。
「これ……メリープの毛?」
メリープというのは、もこもこの柔らかいポケモンだ。
ポケモン図鑑を見て人間の付けた名前を覚えた。
わたしの中で、一度は抱きついてみたいポケモン上位にランクインしている。
「そう。森に住んでるメリープの群れにお願いして毛を分けてもらったんだ。」
シュウがもこもこを掴んでシーツの袋に入れている。
わたしも真似してもこもこを手に取った。
……気持ちいい。
「ほら、ハルカ。それを均等に入れるんだよ。」
シュウがお手本を見せてくれたので、その通りにもこもこを袋に入れていく。
「シュウって変わってるのね。」
ただ手を動かすだけなのは退屈だったから、シュウに話しかけてみた。
「……それ、もう聞き飽きたんだけど。」
シュウが呆れたように手を止める。
確かに、シュウと一緒に暮らし出してから、数え切れないくらい言ったような気がするけど。
でも、彼が変わっているのは本当だと思う。
こんな見ず知らずの人間を住まわせるし。人間じゃないけど。
そんなわたしのために色々世話を焼いてくれるし。
親切と言えば親切過ぎるくらいに親切だけど、それ以上に彼は変わっているのだ。
「だって、人間がメリープにお願いする?人間だったら、ポケモンの都合なんて考えずに毛を刈り取っちゃうものじゃない?」
「……初めて会った時から思ってたんだけど。」
彼の呆れはますます激しくなっているようだ。
「君はどうも記憶が無い割りに人間不信だね。そんなにぼくが信用できないかい?」
「別に、シュウが信用できないなんて言ってないじゃない。」
シュウは信用できる。
しかし、他の人間もそうかと言われると、そうじゃないような気がする。
他の人間なんて会ったことがないからハッキリ言えないけど。
「君が記憶喪失になった原因は、もしかしたら人間にあるのかもね。それも君が人間嫌いになるような形で。」
シュウがこちらに手を伸ばす。
「君のトレーナーは君を守れなかったんだろうか。」
わたしの首輪に触れた。
この輪っかは留め具が無いから外せない。
外そうなんて思わないけど。
わたしがポケモンだった頃の唯一の名残だから。
「人間もいい人ばかりじゃない。」
シュウはわたしの首輪を撫でる。
「ポケモンを悪事に使ったり、ポケモンで酷い実験をしたり。そんなクズのような人間もいる。」
そう言うシュウの目はとても辛そうだった。
「……でも、シュウは違うじゃない。」
シュウが悲しんでいるのをどうにかしたくて、わたしは必死で言葉を探す。
「シュウはこんなにわたしに親切にしてくれるし!わたしが人間みたいなポケモンなのに不気味に思ったりしないで!」
いつの間にかわたしの手も止まっていた。
「シュウはそんな人間とは違うかも!」
「……君は優しいね。」
首にあった彼の手が頭に乗せられる。
よしよしと撫でてくれる彼の手は嫌いじゃない。
「ありがとう、ハルカ。」
シュウの手は頭から離れて、籠のもこもこを掴む。
「早く君のベッドを作ってしまおうか。」
「うん!」
シュウが少しだけだけど笑ってくれたのが嬉しくて、わたしは張り切ってもこもこを詰めた。
「完成かもー!」
シュウがもこもこを一杯に詰めたシーツの口を縫って。
それをまたさらにシーツで包んで、組み立て終わっていたベッドの上に置く。
シュウは余ったもこもこを使って枕という物も作ってくれた。
「さあ寝てごらん。床やソファーよりずっといいよ。」
シュウがぽんぽんとベッドを叩く。
わたしはコロンとベッドに転がった。
「柔らかいかもー!」
「気に入ったかい?」
シュウが寝転がったわたしの頭を撫でる。
「うん!ありがとう、シュウ!」
にっこり笑ってお礼を言う。
とても柔らかくて、今までよりもずっと気持ちよく眠れそうだった。
「どういたしまして、ハルカ。」
シュウも笑い返してくれた。
その夜、シュウの作ってくれたベッドで眠ろうとした時に気付いた。
このベッドはシュウが作ってくれたから、シュウの匂いがする。
シュウとの生活を始めて気付いたことの5つ目。
わたしは彼の匂いも嫌いじゃなかった。