新緑の森のダンジョン番外編   最終話の18時間前、そして数日後

 

 

 

 

 

 



雨で全てがかすむ中、二人を家まで送っていったフライゴンが戻ってきた。

ぬかるむ地面に降りた彼を見ていると、いつか自分が彼に放った言葉を思い出す。

”これだから、愛があれば何でも乗り越えられるって考え方は嫌いなのよ……。”

何の障害も無いときはいい。

障害があっても、普通なら協力して乗り越えられるだろう。

でも、あの二人は普通じゃない。

障害が大きすぎる。

そして、互いを愛しすぎて、それが自身を縛っている。

”姉さん、そんなに悲観的にならないでほしいっス。姉さんがみんなのリーダーなんスから。”

”こういうときだけ押し付けないでよ!”

”いや、いつもリーダーっぷりを発揮してると思うっスけどね……。”

フライゴンが何かブツブツ言ってるけど、そんなの気にしていられない。

あの人はあの子を愛しすぎて、あの子を失ったら生きていけない。

あの子はあの人を愛しすぎて、あの人のために自分を失おうとしている。

あの子が生きていてくれないと、あの人も生きていけない。

でも、あの子が生きていると、あの子の言う通り、あの人は心を痛め、苦しみ続けることになる。

そして、そんなあの人を見て、あの子も苦しみ続ける。

それは、二人とも死んでいないだけで、生きているとは言えないのではないだろうか。

「生きている」と「死んでいない」は同義ではない。

どちらにしても、今のままでは二人は生きられない。

”ああもう!どうして幸せにならないといけないようなあの二人ばっかりに不幸が降りかかるのよ!”

”そりゃ、あの二人が悪い奴らにとっては美味し過ぎるご馳走だからっス。”

”分かってるわよ、そんなの!”

あの人は天才科学者、あの子は天才が創り出した人間にして人間を超える存在。

放っておくわけがない。

あの二人は連中にとって利用価値があり過ぎる。

私は頭を抱えて叫びたくなった。

”姉さん、オイラの話を聞いてほしいんスけど。”

”何よ?”

私はイライラしながらフライゴンを睨んだ。

このお調子者、私が真剣に悩んでるのに、また下らないことでも言い出すつもり?

”例えばっスね、ここにモモンの実が1個あるんスよ。姉さんはその実が欲しいんスが、その実を取ろうと思ったら、自分が持ってるナナシとオレンとヒメリを10個ずつ捨てなきゃいけないんス。それでも姉さんはモモンの実を取るっスか?”

は?例えばって何の例えよ。

一応聞かれたから答えてあげるけど。

”いるわけないでしょう。一つや二つならともかく、他の実をそんなに捨ててまで欲しがる価値はないわ。”

”でしょ?そういうことっス。”

”……5秒以内にヤドンでも分かるように説明しないとマジカルリーフで吹っ飛ばすわよ。”

”わわわ!姉さん横暴っス!”

フライゴンが慌てて木の後ろに隠れる。

それでも説明はするようで、ひょっこり顔だけ出した。

”つまりっスね、シュウさんとハルカ嬢ちゃんに手ェ出そうとするヤツがいたら、オイラ達でブッ飛ばしちゃえばいいんスよ。オイラ達、めちゃめちゃ強いし、ハルカ嬢ちゃんには劣るっスけど結構頭いいっスから。”

”ごめん、フライゴン、君バカにしか見えない。”

”この無表情ポケ!オイラの話を最後まで聞くっス!”

バタフリーに言い返すフライゴン。

ごめんなさい、私もあなたがバカにしか見えないわ。

”姉さんが困ってるのは、ハルカ嬢ちゃんが人質に取られちゃったから、こっちは手出しできないってことっスよね?でも、それはシュウさんに限っての話だと思うっス。”

”どういうことよ?”

”オイラ達が生きてること、組織は知らないっス。監視してたあの男も映像でハルカ嬢ちゃんと一緒にいたオイラ達と研究所にいたオイラ達を同じポケモンと思ってなかったみたいっスから。”

そりゃ、あんなヤツはポケモンなんかに興味ないでしょうしね。

”つまり、オイラ達はノーマークっスよ。あの男もわざわざオイラ達が生きてるなんて組織に報告しないに違いないっスから。”

だから何だってのよ?

”そんなオイラ達は自由に動けるっス。だから、今から全速力で研究所に乗り込んでデータ壊して、ハルカ嬢ちゃんの首輪の鍵取ってくるっス。”

”フライゴン、バカすぎ。”

”うるさいっス、アメモース!このまん丸お目目!”

”だってそうじゃん。そんな案、非現実的過ぎるよ。”

”だああっ!この虫ポケモンズがーっ!無視は虫っス!”

”逆だよ。虫は無視。”

”うがーっ!”

フライゴンがアメモースとバタフリーを追い掛け回している。

そんなことはどうでもいい。

私は今フライゴンが言ったことを呆然とした頭で目まぐるしく考えていた。

”いいと思いますよ、フライゴンの案。”

アブソルが私の心を読んだように言った。

フライゴンがピタッと止まったかと思えば、次の瞬間にはアブソルの真ん前に高速移動してきている。

”そうっスよね!やっぱり、アブソルは話の分かるヤツっス!”

めちゃくちゃ嬉しそうだわ、フライゴン。

”ハルカさんが人質に取られているからシュウさんはあの男に協力せざるを得なくなり、ハルカさんはそれが嫌だから生きようとしないというのが現在の状況です。”

アブソルの言葉にフライゴンは得意そうに頷いている。

”ハルカさんさえ解放できれば、あの男がシュウさんに言うことを聞かせることは出来ませんし、仮に他の手段を講じてきても、あの二人の頭脳と私達の力があれば撃退は十分可能です。”

フライゴンの案、それはあの子を解放できれば全てが好転するということ。

”データは全て壊れ、研究は振り出しに戻った。そして、弱点もない相手にそんなリスクを背負ってまで、あの男はあの二人を欲しがらないだろう。そういうことですよね?”

”そうっス!何が非現実的っスか!アブソルはちゃーんと分かってくれてるっスよ!”

”でも、アブソルが賛成して実行すると被害大きくなっちゃうし。”

さらっとバタフリーが毒を吐く。

”あ、あれは……ちょっとアドリブをきかせすぎたと言いますか……。”

アブソルが目を逸らす。

具体的に何やったのか知らないけど、あの子にアドバイスしただけじゃないわね。

アブソルって真面目だけど、お茶目なところあるから。

”いいじゃないっスか!あれは成功し過ぎてああなったんスよ!二人がくっついて万々歳っス!元々、オイラは二人をくっつけるのが目的だったっスから!”

フライゴン、あなた、あの二人のノロケに当てられてアブソルに文句言ってたこと忘れてるわね?

”と、とにかく、私達なら今から全速力で進めば夜中には研究所に着きますし、内部構造やコンピューターの動かし方も分かります。万が一、分からない場合でも破壊すれば良いだけの話ですし。”

アブソル、ああ見えて乱暴な手段取るわよね。

あの子にもそういう手段取ったのかしら。

”考えてみれば、ポケモン兵器化計画は組織の中でもトップシークレットでしたから、データさえ壊せばシュウさんとハルカさんの情報も消え、二人の存在が他にバレることもなくなります。かなりメリットの大きい案だと思いますが。”

”アブソル!アブソルみたいな頭のいい仲間がいてオイラ幸せっス!”

”ええ、私もあなたのような実用的な案を出してくれる人がいた方が慎重派を相手にするよりずっと楽しいですよ。”

あ、意気投合した。

前々から仲良しだと思ってたけど、こんな共通点があるなんて初めて知ったわ。

この二人、思い立ったら即実行タイプだったのね。

やっぱり、あの子が来てから色々なものが見えるようになったわね。

前はこんなこと起こりっこ無かったし。

”で、臆病者の慎重派はどうするっスかー?これ以上いい案があるなら出してみろっスよー!”

欠点は調子に乗りやすいことね。

多分、アブソルも調子に乗ったから、次の日には二人があんな風になっちゃったんだわ。

”成功率、低すぎ。”

”あのさぁ、ぼく達の命の危険もあるんだよ?それにデータは壊せるだろうけど、鍵が見つかるとは限らないし。鍵が見つからなかったら何もならないよ。”

”じゃあどうするっスかー!?”

ああ、また喧嘩になりそうだわ。

そう思ってウンザリしてると、4人がいきなりこっちを向いた。

”ここはリーダーに決めてもらうのが良いと思いまして。どうすれば良いと思いますか?”

アブソルが不敵に笑いながら言う。

私が反対しないって確信を掴んでる顔。

どうしてフライゴンといい、アブソルといい、こんなに自信タップリなのかしらね。

まあ、事実、私は賛成なんだけど。

”鍵なら見つからないこともないわよ。バタフリー、あなたエスパータイプの技使えるじゃない。”

透視能力あるし、複眼あるから的中率高いし。

”アメモース、あなたならどこをどうすればこの作戦を成功に導けるか、一番上手くシミュレートできるわ。”

アメモースが慎重なのは全てを考えて動くから。

”アブソルはその機動性を生かして組織の人間をかく乱して。”

災いポケモンだなんて失礼だと思うけど、アブソルは人間達に注目されやすいから二重に追っ手を振り回せる。

”フライゴンは私を乗せて飛ぶの。上空から一気に中枢に突入するわ。”

フライゴンのパワーがあってこその戦法。

”そして、私がデータを壊す。コンピューターごと壊すのはデータを修復不可能にした後よ。コンピューターの扱いは私が5人の中で一番。”

全てあの人にもらった力。

”愛があれば何でも乗り越えられるなんて嘘よ。実際、あの二人には乗り越えられない。”

それで私達も苦しんだけど、あの人だって苦しんだ。

”だって、乗り越えようとしたら死んじゃうもの。死んじゃったら何もならないわ。”

それだけ苦しんだあの人があの子を愛しちゃいけないはずはないわ。

”でも、それは二人だけで乗り越えようとするから死んじゃうのよね。”

あの子にもあの人の傍にいてもらわないと困るわ。

”愛し合う二人が何でも乗り越えられるようにするためには、それなりのお膳立てってものが必要じゃない?”

いつか約束したしね。ずっとあの人の傍にって。

”愛があれば何でも乗り越えられるなんて嘘。でも、愛し合う二人を見たいがために予め壁を叩き壊しておくギャラリーがいてもいいと思うの。”

あの子は約束を破ろうとしたけど、それを責めるよりも約束を守れるようにしてあげた方がよっぽどいいわ。あの子だってそれを望んでるはずだし。

”あの二人は二人ぼっちじゃないわ。私達がいるんだから。”

私は自分でここに在ることを選んだ。あの人の傍に、あの子の傍に。

”もっとも壁は二人の絆を強めるとかって言うけれど。そんな壁は夫婦喧嘩で十分。”

なら、私は全ての力をあの人とあの子のために使うわ。

”リーダーの命令よ!誰も死ぬことは許さないわ!生きて帰ってあの人とあの子のノロケを聞くのよ!”

私達は森を飛び出した。




 

 

 

 









”姉さん……。”

”何も言わないで、フライゴン……。あなたの言いたいことはよく分かるわ……。”

憔悴し切ったフライゴンに、同じく憔悴し切った声で返す。

ここは数日前、雨に打たれていたあの子を見つけた場所。

その時には蕾しか付けていなかった木も、今では満開の美しい花で彩られていた。

ああ、ひらひら舞ってるエネコ色の花びらがとっても綺麗。

”姉さん、現実逃避は良くないっス。”

”分かってるわよ……。”

零れんばかりに花を付けた枝から少し視線を下げる。

木の下には、この間のピクニックの時よりさらに甚大な被害の発生源となった二人がいた。

近寄れない。近寄ったら最後、骨まで残さず当てられるから。

私達5人はかなり離れた所に固まって座っていた。

”オイラ達、ここに何しに来たんっスかね?”

”花見よ。”

私はキッパリ言い切る。

言い切らないとやっていけない。

”まあ、あれも花の一種と言えないこともないっスけど……。”

”花と言うより華だね。春の華、シュウさんがあの子に付けた名前そのものだ。”

”シュウさんは思いっきり花見してるっスね。春の華愛でまくりっス。”

全くだわ。あの人、上に咲いてる花なんてお構いなしで自分だけの華を可愛がってるわね。

あの子はちゃんとした花見に来たはずなのに。

ここに来た時は、そりゃあもうはしゃいで駆け回ってたわ。

微笑ましくって見てるこっちまで思わず走り回りたくなるくらい。

でも、花に触ろうとして飛び跳ねてた時くらいからどうも違ってきちゃったのよね。

あの人があの子を抱き上げて、花に触らせてあげて。

あの人、私達と違って怪我の治りが早くないから、まだ腕だって痛いはずなのに。

本当にあの子が好きなのね。

あの子の喜ぶ顔を見るためにそこまでするなんて。

二人の幸せそうな顔がまた見られるようになって本当に良かったわ。

でも、微笑ましいのはそこまでだったわ。

腕を下げて、あの子を下ろしたあの人は、そのままあの子を離さずに抱きしめて。

ああ、もうそれからは思い出したくもないわ。

一つ言えるのは、この間とは比べ物にならないくらい凄かったってことね。

今もだけど。

”あの二人、いくら何でもやりすぎ。”

同感よ、アメモース。

あの人、夢中になったら、時と場所と場合を考えない人だったのね。

膝の間にちょこんと座ったあの子を後ろから柔らかく抱きしめてる。

それはいいのよ、それくらいだったらこの前もやってたから。

でもね、いくら好きだからって、こんな所で女の子の服の中に手を入れるのはどうかと思うわ。

それ以上進んでないのが唯一の救いね。

でも、やっぱり見てられないわ。

”皆さん、かなりヘバってますね。”

涼しげな声、余裕の態度。

”あれを平然と見ていられるあなたが凄いのよ、アブソル。”

私は横目でアブソルを見た。

ゆったりと伏せて、二人に視線を注いでいる。

”別に平然としているわけではありませんよ。最初の頃は私も当てられてしまいましたし。でも、あの二人のノロケを聞くために、私達は戦ったんでしょう?”

”それにも程があるわよ……。”

ああ、一つじゃ飽き足らず、二つ目のボタンまで外したわ、あの人。

あの子もそんなに抵抗してないし。

もうちょっと本気で抵抗してくれると嬉しいんだけど。

あ、やっぱりダメだわ、人間の男って抵抗されるとその気になるとか聞いたことあるし。

”あの二人も安泰でしょうし、ハルカさんにはもう私達のお手伝いも必要ありませんね。”

アブソルが思い返すように言った。

”どういうこと?”

”もう被害を食い止めることは出来ないということです。”

”簡単に言わないでよ!元はと言えばあなたのせいでしょ!?”

私の抗議にも、アブソルはクスクス笑うばかり。

”アブソル、その余裕には何か理由があるっスね?オイラには分かるっスよ。”

フライゴンが口を挟んできた。

この間の戦いで意気投合してから、かなりお互いのことが分かってきたみたいね。

”ええ、ハルカさんにアドバイスした時に分かったことがあるので。”

”何っスか、それは?”

”あのノロケは当事者にならないと楽しめないということです。”

キッパリと言い切る。

”皆さんはただ見ているだけですから、ここまで被害が大きいんですよ。関わってしまえば、それもまた楽しみの一つです。特にハルカさんはからかい甲斐がありますし。”

アブソル、本当にあの子に何したのかしら。

一度機会があったら聞いてみようとは思ってたけど、やっぱりやめておいた方が正解なのかも。

”関わると言っても、冗談で済む程度ですよ。深入りしてしまうと、私の身の安全に関わりますので。”

……やめておいた方が大正解ね。

何だか危険な匂いがプンプンするわ。

”で、アブソルはどんな風に関わったんっスか?”

この考えなし、そんなに簡単に聞くんじゃないの!

”ちょっとした悪戯ですよ。今の私が余裕に見えるのであれば、次の悪戯を考えていたからですね。”

アブソルは立ち上がった。

”ちょっと行ってきますね。フライゴン、もし気に入ったら、あなたも是非。”

”アブソルのオススメ、楽しみにしてるっスよー!”

アブソルはテクテク二人に近づいていく。

あ、二人がアブソルに気付いたわ。

あの人が表情を変えてあの子を固く抱きしめるなんて、本当に警戒されてるわね。

二人のすぐ傍まで行って、アブソルは座ったわ。

そのまま、あの人とにらめっこしてる。

”何を見せてくれるつもりっスかね、アブソル……。”

フライゴンがワクワクしながら待っている。

話に加わってなかったバタフリーとアメモースもいつの間にかアブソルの動向を見守っていた。

アブソルはじーっとあの人の顔を見つめていたけど、ふと何かに気付いたように上を見たわ。

何かあるのかと思って、思わず私達もそっちを見ちゃったけど、アブソルの上って花があるだけよね。

何だったのかしら。

視線を戻すと――アブソルがあの子の頬にキスをしていた。

”えええええええっ!?”

私達が叫んでる間に、アブソルは一跳びであの人から距離を取った。

あの人もアブソルにつられて上を見ちゃったのね。

その隙を衝かれて、あの子にキスされちゃったんだわ。

あの人がアブソルを追って立ち上がる。

座り込んだあの子は、キスされた頬に手を当ててあの人を見上げてるけど、あの人には宿敵アブソルしか見えていないわね。

アブソルにズンズン近づいて、仁王立ちで対峙した。

ああ、あの人の後ろに炎が見えるわ。

アブソルがちらりとこっちを見た。

”唇以外へのキスは求愛に限らず、親愛や友情を表すと、シュウさんに本当の意味を教えてもらったハルカさんが言っていましたね。ですから、これもまた私からあの子への贈り物なのですよ。”

目で笑いながら言う。

……絶対、あの人への挑発も含まれてるわね。

アブソルがしたことってこれだったんだわ。

じゃなきゃ、あの人があそこまで警戒するはずないもの。

なのに、まんまとしてやられたあの人の怒りと嫉妬は頂点ね。

”全部計算通りだったとしたら、アブソルって侮れないよね。”

”計算外のことが起こっても、瞬時に自分の思い通りに動かせるようなところ、アブソル持ってそうね。”

”アブソル、油断ならなさすぎ。”

3人で頷き合う。

……3人?

”みんな、注目っスー!”

フライゴンはいつの間にかあの子の傍にいた。

って、まさか……。

”ハルカ嬢ちゃん、オイラからの友情を受け取ってほしいっスー!”

フライゴンはアブソルとは反対側の頬に口付けた。

”フライゴン、あなたなら乗ってくれると思っていましたよ!”

アブソルが嬉しそうに目を輝かせる。

突進してきたあの人が自分の所に来る前に、フライゴンは半ば無理矢理あの子を背中に乗せて飛び立った。

「フライゴン!降りて来い!ハルカを返せ!」

”あーとーでーっス!”

あの人の怒声も効果が無い。

アブソルはおかしくてたまらないというように笑っていた。

フライゴンも大爆笑で応える。

”た、確かに、面白すぎるほど面白いっス……!ダ、ダメっス、笑いすぎて落ちる……!”

フライゴンがふらふらしながら宙に浮いている。

不安定なのが怖いらしくて、あの子は必死でフライゴンの首に抱きついていた。

それがまたあの人の怒りを誘っている。

これは面白いわ。

見てるだけじゃなくて、あの人の邪魔をしたり、私達からあの子への友情を示したり、それがまたあの人の嫉妬を誘ったり。

表情豊かなあの人と、フライゴンの上で目を白黒させてるあの子が可愛くてたまらない。

そうね、せっかく一緒にいるんだもの、やっぱりあの人に独り占めさせるのは勿体無いわ。

フライゴンが何とか笑いを収めてこっちに呼びかけてきた。

”姉さーん!ついでにアメモースにバタフリー!今ならキスし放題っスよー!”

「ええっ!?キスし放題って!?」

ああ、そんなこと口に出さない方がいいのに。

あの人にはポケモンの言葉は通じないけど、人間の言葉は通じちゃうから、さらに嫉妬を煽っちゃうわよ。

ほら、ますますあの人怒ってる。

笑いが止まらないアブソルを掴んで、カクカク揺さぶってるわよ。

空を飛んでるフライゴンの所に行きたいんだったら、バタフリーかアメモースを揺さぶらないといけないのに、そこまで頭が回ってないみたいね。

熱くなっちゃって。

”バタフリー、ちょっと乗せて。アメモース、あの人がこっちに気付く前に逃げるわよ。”

あの人に捕まる前に、あの子を乗せてるフライゴンに向かって飛んでいく。

ちらりと後ろを振り返ると、あの人が鬼気迫る顔でこっちを見上げていた。

怖くなんかないけど。

これからの楽しみを考えたら、ちょっと警戒されるくらい安いものね。

”お待ちしてたっス、姉さん。虫ポケモンズも一応歓迎してやるっスよ。”

バタフリーからフライゴンに乗り換える。

「あ、あの、ロゼリア……?」

引きつった顔で笑うあの子の隣に立った。

”前々から思ってたんだけど、あなたって言葉で表すより、行動で示した方が分かりやすいみたいね。アブソルにキスの意味を教えてもらった時だってそうだったんでしょ?”

そう指摘したら、かあっと顔を赤らめて俯いた。

ああ、この子、本当に可愛いわ。

あの人が惚れるのも分かるわね。

”君、鈍感すぎ。ストレートくらいが丁度良すぎ。”

”そんな君に、ぼく達が友情を分かりやすく示してあげるよ。”

今までひらひら飛んでいたアメモースとバタフリーが近づいてきた。

まず、バタフリーが右手を取って手の甲にキスをする。

指先にキスしたり、手を裏返して手の平にキスしたり。

「もうっ!バタフリー、くすぐったいかも!」

ちょっとフライゴンの背中から下を覗き込んでみる。

この子のセリフ、あんまり高い所飛んでないし、間違いなくあの人に届いてるわね。

嫉妬に狂いかけて、アブソルに八つ当たりしてるわ。

アブソルは相変わらず笑顔で余裕だけど。

アメモースを見ると、あの子の正面に来て、あの子の額にキスをしていた。

それから両方のまぶたにキスしたり、耳にキスしたり。

耳にキスした時は、ちょっと悲鳴あげたのよね、この子。

別に嫌ってわけじゃない悲鳴なんだけど。

思わず反応しちゃったっていうような。

あの人、何してるかしら。

あら、いないわね。

あ、木の下にいたわ。

花で隠れてるからよく見えないんだけど。

何やってるのかしら。

ここからじゃ見えないけど、アブソルの様子を見る限りじゃ、面白いのは間違いなさそうね。

あのアブソルが涙を流しながら笑ってるわ。

アブソルがこの子はからかい甲斐があって面白いって言ってたけど、あの人も相当よね。

そろそろ私もしようかしら。

あの子の顔を見上げると、あの子は困ったように眉を下げていた。

「ロゼリアもわたしにキスするの……?」

”もちろんよ。”

「そんな趣味ないって言ってなかったっけ……?」

”忘れたわね。”

本当はバッチリ覚えてるけど。

あんな衝撃的な展開、忘れられるはずがないじゃない。

でも、求愛じゃないんだったら別。

これは友愛、私達から大好きなあなたへの。

そうね、ここにしようかしら。

唇はいくら何でも問題あるけど、ここだったらギリギリセーフでしょ?

私はあの子の唇の端にキスをした。




夕方近くになって、私達はあの子を家に送り届けたわ。

本当はすぐに下ろしてあげようと思ってたんだけど、思いのほか楽しくって。

結構長い時間独占してたら、あの人が……とても言えないわね。

さすがにあれには近づきたくなかったから、あの子を空中に留めたままで帰ることにしたの。

ちなみに、あの人はアブソルが乗せて帰ってくれることになったわ。

あんな状態のあの人に近づけるなんて、その勇気は拍手ものね。

私達の方が少しだけ早く到着したから、あの子を降ろして待っていたら、あの人を乗せたアブソルが走ってきた。

あの人はアブソルから降りると、私達に見向きもせずにあの子の腕を掴んで家の中に入っていったわ。

あの子は慌てた顔で手を振ってくれたけど。

5人揃って森へと歩いていく。

”いかがでしたか?楽しかったでしょう?”

アブソルが自慢げに言う。

”やっぱり、アブソルは凄いっスねー。でも、こんな面白いこと独り占めしてたのは許せないっス!”

”独り占めしていたのにはそれなりの理由があるんですよ。フライゴン、もしあなたがとても美味しい木の実を沢山見つけたらどうしますか?”

何が言いたいのかしら、アブソル。

フライゴンといい、アブソルといい、木の実を使った例え話が好きよね。

”いっぱいあるんっスよね?”

”そうですよ。”

”だったら、まずは一人でおなかいっぱい食べて、その後みんなに分けてあげるっス。”

”それと同じですよ。まずはあの二人の反応を心行くまで楽しんでから、皆に教えたんです。”

なるほど、確かにこれは独り占めしたくなる楽しみね。

でも、やっぱりみんなで楽しみたくもなるわよね、こんなに面白いんだし。

”それから、もう一つの楽しみ方も教えて差し上げますね。”

”へえ、当事者になって楽しむやり方の他にもあったの?”

”ええ、実はこちらの方が楽しいんですよ。”

皆立ち止まってアブソルを囲む。

”私達の悪戯で二人がどうなるか。それを想像するのがたまらなく面白いですね。”

その言葉に私達は絶句する。

”……アブソル、怖すぎ。”

”所詮、私達は傍観者ですから。当事者として場を引っ掻き回しつつ、傍観者として高みの見物と行こうじゃありませんか。それくらいしないと割に合いませんよ、あの二人のノロケは。”

まあ、確かにそうだけど。

それにどうせ、この程度の悪戯で仲悪くなるなんて有り得ないし、あの二人。

”そうね。じゃあ、明日にでも、二人のその後の想像が当たってるかどうか皆で確かめに行く?”

”お見舞いはやっぱりモモンっスね。ハルカ嬢ちゃんの大好物っスから。”

”玄関から行くとシュウさんに追い返されそうだから、窓から直接部屋に押しかける?起き上がれなくってベッドにいるだろうし。”

”あ、でしたら、どちらの部屋のベッドにいるかで賭けをしませんか?勝った時のご褒美は、ハルカさんにお見舞いを渡す役ということで。”

”オイラはシュウさんの部屋に賭けるっス!”

4人がどちらの部屋であの子が寝ているかで賭けているのを聞きながら、私は考え込んでいた。

んー、何か違和感が……。

そりゃ、あの子がどちらかの部屋で寝てるというのは、私も正解だと思うんだけど……。

あ、分かったわ。

”その賭けって、あの人が怒って私達を追い返すって前提があるのよね?だから、部屋の窓から突撃するんでしょ?”

”そうっスよ?”

”だったら、私はあの人がこれまでにないほど上機嫌っていうのに一票。”

”理由は何ですか?”

”あの子が一晩かけてあの人の機嫌を直すと思うから。と言うよりむしろ、あの人が直させるに違いないから。”

”……。”

沈黙が辺りを支配する。

やがて、考え込んでいたみんなが満面の笑みを浮かべて顔を上げた。

”姉さん、鋭すぎ。”

”やっぱり、人の家に遊びに行く時は玄関から入るのが礼儀っスよね。”

”姉さんの言うことはやっぱり違うよね。”

”お土産は皆で渡すということにしましょうか。”

ふっ、ちょろいもんね。

やっぱり、リーダーは私じゃないと務まらないわ。

”じゃあ、明日の予定はあの子のお見舞いが一つ。他にしたいことは?”

”やっぱり、シュウさんにも何かいいことしてあげたいっス。今日は面白……いえ、気の毒過ぎたっスから。”

”うーん、何がいいかしらね……。”

私達は楽しくなるであろう明日に思いを馳せながら森の奥へと帰っていった。

 

 

fin

 

 

 

 

 

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