新緑の森のダンジョン 12

 

 

 

 

 

 



とても幸せだった。

彼がわたしの傍にいて、わたしを見て笑ってくれていたから。

そんな日々がずっと続くと思っていた。

大好きな彼と一緒にいられなくなる日が来るなんて夢にも思っていなかった。

それなのに、別れは突然にやってきた。




ある昼下がり、することもなくて窓の外をぼんやりと眺めていたら、何かがこの家に近づいてきていた。

かなり遠かったけど、服を着て二本足で歩いていた。

人間……?

わたしはシュウ以外の人間を見たのは初めてだったから、それはもう驚いた。

その人間から目が離せなくなるくらいに。

じっと見つめていると、シュウがそんなわたしを不思議に思ったみたいでわたしの隣に来た。

「ハルカ、何を見てるんだい?」

「人がいる……。」

シュウはわたしの指差す方向に目を向ける。

その瞬間、彼がハッと息を呑むのが聞こえた。

シュウの顔を見上げると、彼は目を見開いて蒼白になっていた。

「どうしてここに……。」

シュウの知り合い?

そう聞こうと思った時、家のドアがバタンと音を立てて開かれた。

シュウが動揺も顕わに振り返る。

部屋にロゼリアが駆け込んで来た。

”隠れて!早く!”

そう言っていた。

「いや、もう遅い……。」

シュウはロゼリアの言葉が通じたかのように首を横に振った。

「それよりも、君はハルカの傍にいてやってくれ。」

シュウはロゼリアにそう言って部屋を出て行こうとした。

「シュウ……?」

その背中が遠くに行こうとしているように見えて、わたしは彼のシャツを掴んだ。

「ハルカ、君は出てきてはいけないよ。」

シュウは振り返ってわたしの頭を撫でた。

そして、わたしの手を優しく、それでいて有無を言わせない力で外す。

「ロゼリア、ハルカを頼む。」

シュウの手はとても冷たかった。




ロゼリアに止められたけど、わたしは玄関のドアに張り付いていた。

やって来た人がシュウに何をしようとしているのか気になってどうしようもなかったから。

シュウの様子、普通じゃなかった。

あんなにうろたえてるシュウ、初めて見た。

シュウが心配で仕方なかった。

本当はドアを少し開けて二人の会話を聞こうとしたんだけど、そこまではロゼリアも許してくれなかった。

でも、こうやって耳をドアにくっ付けていたら十分聞こえるはず。

シュウは動揺して声が大きくなってるし、やって来た人はよく通る、悪く言えば頭に響く声をしていたから。




「久しぶりね、シュウ君。」

声からして男の人だろうか、やっぱりシュウの名前を知っていた。

「ハーリーさん、あなたが今更ぼくに何の用ですか?」

シュウの声は硬い。

ハーリーさんという人を歓迎していないのが丸分かりだ。

「あら、冷たいわねー。せっかく昔の上司がこんな森の奥まで訪ねてきたのに、家にも入れてくれないの?」

「誰があなたなど入れるものか!さっさと帰ってください!」

「あらー、そんな怖い顔されるとハーリー困っちゃうー。」

ハーリーさんはシュウが怒ってるのを分かってて、わざと挑発してるような感じがした。

声だけしか聞こえないから、どんな顔をしているのか分からないけど、シュウをあざ笑ってる感じ。

何だか嫌な人。シュウが会いたくなかったのも分かるかも。

「まあ、家の中じゃなくても用件は伝えられるからいいわ。早速本題に入らせてもらうわね。」

シュウが緊張を強めたのが気配で分かった。

「シュウ君、私達と一緒にまたお仕事しましょ?」

「お断りします!」

シュウが怒鳴り声で即答した。

「えー、どうしてー?」

「もう一度言わなければ分かりませんか?」

シュウの声が震えている。

怒ってるんだ、物凄く。

こんなに怒ってるシュウも初めてだった。

シュウがどうして怒ってるのか分からなくて怖くなる。

「ぼくは言ったはずです。もうこんなことを続けるのは耐えられないと!」

シュウの声がビリビリ聞こえてくる。

「ぼくの研究の全てを残していく代わりに、ぼくに関わらないという約束だったはずです!なのに何故放っておいてくれない!?」

その時、二人の声以外の音が聞こえた。

鋭い鳴き声、大きな羽音、それに乱暴な足音。

ロゼリア以外のポケモン達だ。

「みんな、来ちゃいけない!」

シュウが叫んでるけど、みんな無視してシュウの周りに来たみたいだった。

低く唸ってる。

みんなが怒り狂ってるのが分かった。

「あーら、どっかで見たようなポケモンだと思ったら。アンタ達、まだ生きてたの。」

そんなポケモン達を目の前にしても、ハーリーさんはふてぶてしい態度を変えない。

「まあ、そんなヤツらはどうだっていいのよ。さっきの話の続きね。放っておけない事態になったからよ。」

ハーリーさんの言葉に嫌な予感がする。

シュウがどこか遠くへ連れていかれそうな気がした。

心臓の音が耳に響いて、二人の会話を聞く邪魔をする。

でも、そんなわたしの事情なんてもちろん構わずにハーリーさんは話し始めた。

「シュウ君の研究は素晴しかったわ。アンタが去った後、他のメンバーを総動員して研究を続けたけど、アタシ達が出来たのはせいぜいがアンタの研究を進めるだけ。」

研究?さっきも出てきたけど何のことだろう?

シュウの頭がいいというのは知っている。

沢山本を持っているし、話すと頭の回転が速いってことがよく分かるから。

シュウが森で暮らす前は都会で暮らしていたとロゼリアが言っていた。

だったら、この人はシュウが都会でやってた何かの研究に関わっていた人なんだろうか。

「新しい理論なんて誰も思いつかなかった。悔しいけどアタシ達はアンタの影を追うしか無かったわ。」

そこでハーリーさんが笑う気配がした。

「でもね、ある日、その研究が劇的な進化を遂げたの。まるでポケモンの進化のように、その研究は姿を変えた。」

ハーリーさんはその研究というものをたたえるように話す。

「バージョンアップなんて言葉じゃ言い表せないくらい。恐ろしいくらいの進化だった。」

ポケモン達の唸り声が一層大きくなっていく。

「でも問題も起きたの。研究が進み過ぎたせいで、もうその研究はアタシ達の手に負える代物じゃなくなってた。アタシ達じゃ研究のさらなる発展は臨めない。」

シュウが何かを言う気配は無い。

でも、それは嵐の前の静けさって感じだった。

シュウの怒りは爆発する時を待ってる。

「だからアタシは決めたの。その研究の発案者であり、基礎を作り上げた若き天才科学者シュウ博士を呼び戻すことを。」

ハーリーさんは見えていないけど、満面の笑みを浮かべているのが分かる声で言った。

「そんなワケでシュウ君、戻っていらっしゃい。」

とうとうシュウの怒りが爆発した。

「ぼくはもう一切あなた達に関わらないと決めている!その研究だって本当は全て消していきたかった!ぼくの前に二度とその顔を見せるな!」

「あらー、やっぱり断っちゃうのねー。」

ハーリーさんは隠れて聞いてるわたしが震える程の怒りを目の前にしても、余裕のまま立っているようだった。

「まあ、簡単にシュウ君が引き受けてくれるわけないって思ってたけど。」

その余裕は声にもにじみ出ている。

シュウに研究を引き受けさせることが出来ると確信してるような声だった。

「ねえ、シュウ君、アンタが可愛がってたエネコ、覚えてる?」

その瞬間、シュウが今までで一番動揺したのが分かった。

「あのエネコ、自分が実験材料なんて知らずにアンタに懐いてたわねー。アンタに色々酷いことされてたのに。」

「黙れ……。」

「アンタもそのエネコに情が移って、上の命令に逆らって時々エネコを外に出してやってたみたいじゃない。ホントは連れて行きたかったみたいだけど。」

「黙れ。」

「でも無理よねー。そのエネコこそが研究の核だったんだから。数え切れない程の失敗作の果てに辿り着いた唯一の成功例。アンタはそのエネコも残していかざるを得なかった。あのエネコにもう一度会いたくない?」

「黙れ!」

思い出のエネコを引き合いに出すなんて。

この人、シュウの動揺を誘ってる。

シュウがちゃんとした判断を下すことが出来なくなるように。

実際、シュウは走ったわけでもないのに、息切れが激しい。

でも、シュウは大丈夫。

シュウは動揺しても自分を見失ったりしない。

わたしがいることを思い出して、シュウ。

わたしがあなたを支えてる。

ポケモン達だってあなたを守る。

みんなシュウが好きだから。

シュウが苦しむのが分かってる所なんかにシュウを連れて行かせはしない。

「……あなたが何を言っても、ぼくは戻るつもりは無い。お引取りを。」

シュウの静かな声が聞こえる。

やっぱり、シュウは大丈夫だった。

隣で聞き耳を立ててたロゼリアと顔を見合わせてほっとする。

でも、ハーリーさんはこれで退いたりしなかった。

「まあ、あのエネコはもういないんだし、実際には会えないんだけどね。」

「っ!?」

シュウの可愛がってたエネコがもういない?

「そんな顔しないの。別に死んだわけじゃないわよ。言ったでしょ、劇的な進化を遂げたって。エネコのままじゃないってこと。引っ掛かった?」

ハーリーさんがクスクス笑う。

「ところでシュウ君、数ヶ月前、森で女の子を拾わなかった?記憶喪失の女の子。」

何でハーリーさんがわたしのこと知ってるの!?

「どうしてあなたがハルカのことを……。」

シュウも思わずといった感じでわたしの名前を口から零していた。

「ふーん、ハルカちゃんって呼んでるの。結構いい名前じゃない。」

「質問に答えろ!」

「知ってるわよ。だって、あの子に首輪付けてシュウ君が見つけやすい所に置いたのアタシだもの。」

ハーリーさんがわたしの首輪を付けた人?

だったら……。

「あなたがわたしのトレーナーなの……?」

「ハルカ!?」

シュウがドアを開けて出てきたわたしに駆け寄ってくる。

「ハルカ、出てきてはいけない!こいつは危険なんだ!」

「ハーリーさんがわたしのトレーナー……?」

わたしは止めてくるシュウに構わず、ハーリーさんに歩み寄ろうとした。

エネコだったわたしを知ってる人。

わたしが何者なのか本当に知ってる人。

でも、その考えはハーリーさんの次の言葉で打ち砕かれた。

「そんなわけないじゃない。アタシがアンタのトレーナー?ふざけないでよ。」

ハーリーさんはわたしを鼻で笑った。

「随分とお人好しね。自分の記憶を消した相手に近づこうとするなんて、自分を実験材料にした科学者に懐いてた頃と全く変わらないわ。」

「まさか……。」

シュウは呆然とハーリーさんを見やる。

「そう、そのまさか。」

ハーリーさんは種明かしをするように両手を広げた。

「そのハルカちゃんが、あなたの考案したポケモン兵器化計画の成功例よ。破壊力の大きな兵器なんて時代遅れ。スーパーコンピューターなんて足元にも及ばない演算能力と人間を遥かに凌駕する学習能力がウリの兵器。素敵でしょ?」

「嘘だ……。」

シュウが震えてる。

さっきまでの怒りじゃない。

シュウの体を包んでいた怒りはどこかへ行ってしまっていた。

「嘘じゃないわ。その子を人間に近づけて、そして人間以上の存在にしようとしてたのはアンタじゃない。自分の研究成果が理解できないほどバカじゃないでしょ?」

この人が何を言ってるか分からない。

わたしはエネコじゃなくて兵器だったの……?

「でも、アタシ達じゃその子を思い通りにできなくて。だから、シュウ君ならどうにかできるかと思って、シュウ君が拾うように仕向けたの。」

「嘘だ!」

シュウが泣きそうな声で叫んだ。

「ハルカが兵器だなんて嘘だ!ハルカがぼくを騙してたなんて嘘だ!」

「あら、騙してたわけじゃないわよ。何たって、その子は自分がアタシの駒だなんて覚えてないんだから。」

ハーリーさんはポケットに手を突っ込んだ。

「でも、シュウ君にも理解できるように、ハルカちゃんには自分が何だったのか思い出してもらおうかしらね。」

取り出したのは何かのスイッチ。

「ハルカちゃん、その首輪はトレーナーがアンタの方向音痴っぷりに呆れて付けてあげた物じゃないわ。アンタの全て、記憶や命すらも思い通りにするための物よ。」

ハーリーさんは赤と青、二つあるスイッチの青い方を押した。

その瞬間、わたしの体に激痛が奔った。

「きゃあああああっ!!」

「ハルカ!?」

立っていられなくて地面に倒れ込む。

それでも痛みは和らいでくれなかった。

どんどん気が遠くなっていく。

「さあ、これで目が覚めた時、アンタは全てを思い出してるわ。ゆっくり眠ってね、ハ・ル・カ・ちゃん!」

ハーリーさんの声を最後にわたしの意識は黒く塗りつぶされた。




夢を見ていた。

わたしの周りをひらひら綺麗な色の花びらが舞っている夢。

その色はわたしの一番好きな色で。

わたしはその花びらを捕まえようと沢山駆け回った。

でも、わたしは四本足で走っていて、人間みたいに手が使えなかったから花びらを捕まえられなかった。

だから、わたしは花を沢山付けている木の枝に飛びつこうとした。

空中の花びらが捕まえられないんだったら、咲いてる花に触りたかった。

それに、固まって咲いてる花の方がもっと色が濃くてもっと綺麗だったし。

でも、わたしは小さかったから、どれだけ跳んでも枝に届かなかった。

――花に触りたいのかい?

後ろでおかしそうに笑う声がした。

ああ、わたしの一番好きな声だ。

頷くと、彼はわたしを枝のすぐ下まで抱き上げてくれた。

前足でちょんちょんと花に触る。

やっぱり、この花は綺麗だ。

彼が狭い檻の中からわたしを出して、ここまで連れてきてくれた。

わたしは初めて見るその花に心を奪われた。

建物から一歩外に出ると、こんなに綺麗な物があるんだ。

建物からあんまり離れてないはずなのに、そこは別世界だった。

すごくすごく綺麗な世界だった。

――気に入ったかい?

彼が上げていた腕を下ろして、わたしを胸に抱いてくれる。

もう一度頷くと、彼は嬉しそうに微笑んだ。

ああ、わたしの一番好きな顔だ。

――良かった、君が喜んでくれて。

こんな綺麗なものを見せてもらって喜ばないなんて出来ない。

彼の胸に頬を寄せると、彼はわたしの頭を撫でてくれた。

もっと撫でて。もっと笑って。

わたしは彼の顔を見上げる。

彼はわたしの願い通り、微笑みから満面の笑みを浮かべてくれた。

――エネコ。




そこで目が覚めた。

一番最初に目に入ったのは見慣れた天井。

ここは彼の家、彼の部屋。

わたしは彼のベッドで眠っていた。

起き上がると、彼がベッドにもたれて眠っていた。

その新緑色の髪を見て、夢の中の彼を思い出す。

涙が溢れてきた。

わたしは人間になる前はエネコだった。

エネコ色の物が好きで、エネコらしい落ち着きの無さと好奇心を持った、彼のことが大好きなエネコだった。

わたしがシュウのエネコだった。




とても幸せだった。

彼はいつもわたしの傍にいて、いつもわたしに笑いかけてくれていた。

だから、わたしは嬉しくてもっと笑っていた。

そんな日々が終わるなんて夢にも思っていなかった。

大好きな彼と一緒にいられなくなる日が来るなんて考えもしなかった。

でも、別れは突然やってきた。

彼はいなくなってしまった。建物の中から。わたしの住んでた世界から。

あの日、シュウはわたしの前から姿を消した。

 

 

 

 

 

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