新緑の森のダンジョン 10

 

 

 

 

 

 



ゆさゆさと体を揺さぶられている感覚がある。

せっかく人がいい気持ちで寝てるってのに……。

ぼくはその原因と思われる細い手首を掴んだ。

……細い手首?

ぼくはガバリと起き上がる。

「あ、シュウ、やっと起きた。」

ハルカが笑みを浮かべて、ぼくの隣に座っていた。

もちろん、ぼくは今まで寝ていたわけだから、もちろんハルカもベッドの上にいる。

「……。」

「何よ、そのポッポが豆鉄砲くらったような顔は。」

ハルカのちょっと人を食ったような発言も耳を通り過ぎる。

ハルカが何でぼくの部屋に!?

昨日は一緒に寝てないはずだ!

ぼくはひたすら混乱していた。




昨日の夜、ハルカはぼくに好きだと言ってくれた。

ぼくと同じ意味でぼくが好きだって。

ハルカと本当の意味で唇を重ねることが出来て、とても嬉しかった。

でも、人間とは欲が深いもので。

唇を得られて満足だったはずなのに、次の瞬間にはもう違うことを望んでいた。

ハルカの心はぼくのもの、ハルカの唇もぼくのもの、だったらハルカの全てはぼくのもの。

そんな思考でハルカをそれ以上抱きしめていたら、ぼくは何をするか分からない。

いや、分かりすぎる程に分かってる。

ぼくは自分を止められないし、止めようとも思わない。

ハルカが大事だから、ハルカに嫌われたくないからというブレーキは欺瞞でしかないのだし。

そもそも、そんなブレーキがきくのなら、キスなんて最初からしなかった。

そんなわけで、昨日は一緒に寝ようとするハルカを何とか押し留めたわけだけど。

でも、現にハルカはここにいる。

これをどう説明したものか。




「……とりあえずハルカ、君はどうしてここにいるんだい?」

やはりここは本人に聞いてみるに限る。

「朝なのにシュウが起きてこないから起こしに来たの。」

確かに、カーテンの隙間から差し込む光は、ぼくがいつも起きる時間より強い。

何だかんだ言って、ぼくはハルカに受け入れられたことに安心してぐっすり眠ってしまったらしい。

でも、わざわざハルカが起こしに来なければいけないほど寝坊したわけではないはずだ。

それに、一番知りたいことには答えてもらってない。

「……で、ぼくのベッドの上にいる理由は?」

「寒かったから。ロゼリアの言う通り、最近寒さがぶり返してきたかも。」

座っていたハルカはシーツをめくって寝転ぶ。

「でも、シュウが一緒だととってもあったかい。」

起き上がったままのぼくを見上げてニッコリ笑う。

「シュウ、やっぱり、もう一回寝ようよ。起こしちゃったけど、起きたばっかりだから眠れるでしょ?」

そう言ってぼくの袖をクイクイ引っ張る。

……ええと、これは誘われてると思ってもいいのか?

いやいや、ハルカは天然なんだ、これも他意は無いはず。

でも、お互い好きなら、いつかは通る道だし。

だったら、今通っても問題無いような気がする。

「って違うだろう!」

思わず自分にツッコミを入れる。

いつかは通る道だからって今通ろうとしたら、絶対に何かひずみが生まれるはず。

そのひずみが何なのかは分からないけど、多分お互いの心がもたらすものだ。

今は通る時期じゃない。

「ハルカ、もう朝なんだから起きるんだ!」

「えー、寒いよー。あと5分ー。」

「それが起こしに来た人間の言うセリフなのかい?」

立場が逆転している気もするが、ハルカをベッドから出さないと、また危険な思考に陥ってしまう。

ぐずるハルカを無理やりベッドから追いやり、ぼくもベッドを降りた。

「ほら、着替えるからさっさと部屋から出て。」

「うう、外よりもシュウの方が冷たいかも……。」

「なかなかいい表現だ。褒めてあげるよ。」

頭を撫でてやると、それまでの曇り顔が嘘だったかのようにパッと笑う。

「うん!もう朝ごはん出来てるから早く来てね!」

ハルカはパタパタと出て行った。

閉められたドアを見つめながら思う。

出会ったのはまだ寒い季節、好きだと気付いたのはその季節が過ぎようとしていた頃、両思いだと確信したのが昨日。

暦の上では暖かい季節になっているのに寒さがぶり返してくるような、まだそんな時期。

きっと、そのひずみは重ねてきた時間の少なさが生み出すもの。

お互いの心が急速に近くなっていったのに、それに心そのものがついてきていない。

特にハルカは。

何せ恋愛感情を自覚したのが昨日だったし。

だから、ハルカの心がちゃんとぼくを受け止められるようになるまで待ってやらないといけない。

ただ、心配なことが一つ。

ぼくは飢えている。

心が渇いていたぼくのところに現れたハルカ。

ハルカは元々ポケモンだった。

でも、今は人間で、これからも人間で在り続けるんだろう。

ぼくは昔はポケモンで、今は人間のハルカが好きなんだ。

前はポケモンじゃなかったハルカとか、人間じゃないハルカにはこんなに飢えたりしない。

ハルカの過去も現在も未来も愛しく思っている。

ハルカの全てが恋しくてならない。

だから危険なんだ。

砂漠で何日も迷っていて、目の前に水の入ったコップがあったら、それを飲まずにいられる人間がいるだろうか。

もしその水に意志があって、ぼくに飲まれることを望んでなかったとしても、ぼくは一滴残らず飲み干してしまうだろう。

今のハルカはこれ以上を望んでいない。

でもぼくは望んでいる。

その水で喉を潤せたら、どれだけ幸せだろう。

それでも、ぼくはその水を愛しく思っているから、水の悲しむことはあまりしたくない。

だから、水が自分からぼくに飲まれてくれれば、一番いいんだけど。

でも、ぼくは二番目の方法でもいいかなんて思っている。

飲んでしまえばこちらのもの、水がどれだけ足掻いても、もうぼくの体の中に入ってしまっているのだから。

やっぱり飲んでしまおうか。水には飲んだ後、よく言い含めておけばいい。

「……ってそうじゃないだろう。」

ぼくはため息をついた。

これだから飢えた人間は危険なんだ。

何が正しくて何が間違ってるか分かってるくせに、それでも水に飛びつこうとする。

水が飲みたくてたまらないという自分の感情を優先して、水の気持ちを後回しにするから。

そしてこんな思考しか出来ないぼくは問題だ。

発展途上のハルカと、飢餓状態のぼく。

そんな心でさらに進もうとしたら、ひずみが生まれるのも当然。

そして、ひずみが生まれて心の距離が開いたら一番苦しむのはぼく。

それを分かっていながら水に手を伸ばそうとするのもぼく。

思考は堂々巡りで解決策など見当たらない。

いや、解決策は分かってる。

それは時間をかけること。

ハルカの心がぼくを受け入れられるようになるまでぼくが待つこと。

でも、これもさっき考えたような気がする。

ああ、やっぱり、思考がおかしくなってる。

手っ取り早く飛びついたらひずみが生まれるのは当然なのに、手っ取り早く飛びついてもひずみが生まれない方法を探してるんだから。

矛盾もいいところだ。

堂々巡りを繰り返すくらいなら、ハルカのところに早く行こう。

ぼくを待ってる。

そうやってハルカと触れ合うことがきっと一番の道なんだ。

ぼくは服を着替えてダイニングに向かった。




ハルカと一緒に朝食をとっている時、家のドアがノックされた。

「誰かが遊びに来てくれたのかも!」

既に食べ終わっていたハルカが椅子から立って玄関に歩いて行く。

ぼくはまだ食事の途中だったから、テーブルについたまま、部屋を出て行くハルカを見送っていたんだけど。

「あれ、アブソルじゃない!おはよう!」

その声を聞いた瞬間、玄関まで全力疾走している自分がいた。

玄関に出ると、ハルカはアブソルに笑顔で応対していた。

……昨日キスされかけたのに、随分と無防備じゃないか?

ぼくはハルカのすぐ後ろで二人の会話を聞く。

聞くと言っても、ぼくはポケモンの言葉が分からないから、アブソルがまたおかしなことをしないか見張っているだけだけど。

ハルカが嬉しそうに「えっ、ホント!?」とか「わたしもいいの?」とか言っている。

アブソルが頷くと、ハルカはぼくを振り返った。

「シュウ、みんなが綺麗な花がもうすぐ咲く所があるから、そこまでピクニックに行こうって誘ってくれてるの!」

「もうすぐ咲くってことはまだ咲いてないってことだろう?どうしてまだ咲いてない花なんて見に行くんだ。」

そこでアブソルがまたハルカに何か言った。

……ぼくの目の前でぼくに理解できない会話をハルカがしていることに何故か腹が立つ。

アブソルに顔を近づけて真剣に聞いてるし。

ちょっとアブソルも顔を寄せればキスできてしまうくらい近くで。

自分の顔が厳しくなってきているのが分かる。

鍛え上げたポーカーフェイスでハルカには気付かせないけど。

でも、アブソルは気付いている。

チラリとこっちを見て、ふと笑ったような気がしたから。

「蕾がだんだん大きくなるのを見るのが楽しいんだって。蕾を見てると花が咲いた時、二倍嬉しいんだって。」

話を聞き終わったらしく、ハルカはまた振り返った。

「ねえ、シュウ。行っていいでしょう?」

ハルカが期待するようにぼくの顔を見上げてくる。

ぼくがダメ出しするなんて微塵も思っていないようだ。

そりゃ、ぼくの一存でハルカの楽しみを奪うなんてことはしないけど。

「……ぼくも行く。」

「えっ!シュウも行くの!?」

ぼくが一緒に行くのがそんなに意外なのか。

確かに、今までポケモン達とハルカが出掛けるのについて行ったことはないけど。

「そこまで行くのには時間がかかるのかい?」

「えっと、歩いていくから結構かかるって。」

「だったら、簡単に昼食を作ってくるよ。アブソルには悪いけど、少し待っていてもらってくれ。」

ぼくはまたダイニングに戻るために玄関に背を向けた。

残りの朝食を急いで食べて、何か適当なメニューを考えないといけない。

「シュウ、わたしも手伝う!」

ハルカがついてくる。

「アブソルと待っててもいいんだよ?」

「わたしはシュウと一緒にお弁当を作りたいの!」

ぼくの隣に来て、そんな可愛いことを言う。

「そうか、いい子だ。」

思わず笑みが漏れる。

そんなときは頭を撫でてやるのが一番だ。

ぼくが頭に手を乗せてやると、ハルカは嬉しそうに笑った。

やっぱり、アブソルなんて気にすることはない。

ハルカはぼくが一番好きなんだから。




森の中の道をポケモン達と歩いていく。

こんな深い森に人間の作ったような綺麗な道は無い。

今、ぼく達が歩いている道も木があまり生えていない所を森のポケモン達が何度も通って出来た道だ。

「きゃっ!」

ハルカが盛り上がっていた木の根につまづいて転びかける。

「っと。」

ハルカの腕を取り、何とかハルカが地面にぶつかるのを防ぐ。

「ハルカ、足元には気をつけないと。」

「う、うん、ありがと、シュウ。」

ハルカの腕を放して、また歩き出す。

しかし、数歩もいかない内に、先導していたアブソルと、上を飛んでいたフライゴンが目の前に来ていた。

「えっ、何、二人とも?」

アブソルとフライゴンが口々に何かをハルカに言っている。

「乗せてくれるの?」

頷くアブソルとフライゴン。

「……ほら、ハルカ。」

「シュウ?」

ハルカはぼくの差し出した手を不思議そうに見つめている。

「手。」

「……繋いでくれるの?」

「じゃなかったら出さない。」

「で、でも、シュウ、もうバスケット持ってるし、わたしと手繋いじゃったらシュウの方がバランス崩しちゃうかも!」

ハルカは慌てて断ってくる。

ぼくはハルカの右手を取って、アブソルとフライゴンに向き直った。

「二人の気持ちはありがたいけど、ハルカを甘やかすとためにならないから。何より、これはピクニックだから自分で歩かないと。」

ハルカの手を引いて、二人の傍を通り抜ける。

前を進んでいる三人を追いかけて、少し早足で歩いた。

そうやって歩いてると、ハルカが少し後ろでクスクス笑っているのが聞こえてきた。

「何がおかしいんだい?」

ぼくが振り返ると、ハルカはぼくの隣に並んできた。

「あのね、二人がどっちが過保護なんだかって。」

嬉しそうにぼくと繋がった手を握ってくる。

「それとね、これは意味がよく分からないんだけど、二人がとっても楽しそうに言ってる。シュウがこんなに分かりやすい人だなんて思わなかったって。」

「……。」

さらに振り返ってみると、アブソルとフライゴンがこちらを見ながら含み笑いをしていた。

今更だけど、何だか恥ずかしくなってくる。

「ありがとう、シュウ。」

「えっ?」

「二人が乗せてくれるって言ってくれたときも嬉しかったけど、シュウが手を繋いでくれたのが一番嬉しかったから。」

……可愛い、抱きしめたい、頭を撫でてやりたい。

でも、ぼくの両手は塞がっていたから、代わりにハルカの手をぎゅっと握った。

ハルカも笑ってぼくの手を握り返してきてくれた。

 

 

 

 

 

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