タンゴよりも情熱的に 〜ダンスの合間の小休止〜
ここはホグワーツ魔法学校。
広大な城にいくつもある離れの一つ、監督生棟。
その豪華な仮眠室で、一人の少女が大きなベッドに寝転んでいた。
しかし、その少女、ホグワーツの制服を着ているものの、人間に見えない。
大部分は人間なのだが、黒くて長い尻尾と同色の三角耳が生えていた。
黒猫の耳と尻尾を持つ少女。
こんな奇妙な黒猫、魔法界広しと言えども、ここホグワーツにしかいない。
もっとも、いつもは普通の人間なのだから、ホグワーツの人間も一人を除いて黒い子猫のことを知る者はいなかったが。
子猫はコロリと寝返りを打った。
黒猫の少女は丸くなる。
窓から差し込んでくる日の光がぽかぽか気持ちいい。
そこから入ってくる風が白いレースのカーテンを揺らす。
秋も深まってきたこの時期、窓から入ってくる風は冷たいはずだが、この日は珍しく暖かだった。
子猫はゆらゆら揺れるカーテンをぼんやりと眺める。
ああやって波打っているカーテンをずっと見ていたら眠ってしまいそうだ。
眠ってしまおうか、こんなにも気持ちいいのだし。
しかし、その波間を漂う小さな思考は中断される。
子猫の尻尾を弄る狼によって。
「……シュウ。」
「何だい、ハルカ?」
黒猫の少女――ハルカの呼びかけに、シュウと呼ばれた狼が応える。
少女と同じくホグワーツの制服を纏った少年。
しかし、狼の耳と尻尾が生えている。
魔法界には狼人間という怪物もいるが、この少年は明らかに違うと分かる。
瞳には知性が宿り、口からは咆哮ではなく爽やかな声が紡ぎ出され、姿かたちは醜い化け物のそれではなく、美しく均整のとれた人の姿だった。
「……尻尾。」
「うん、君の尻尾は面白いね。」
ベッドの上に座った狼の手には子猫の尻尾。
狼は指を絡ませたり、軽く引っ張ったりして遊んでいる。
子猫の尻尾が手から逃げると、それを追いかけ、再び捕まえる。
放しては追いかけ、追いかけては捕まえ、捕まえては遊ぶ。
そして、尻尾を逃がそうとする子猫を笑い、わざと放す。
子猫は何度繰り返されたかも分からないそれにため息をつく。
「あんまり人の尻尾に悪戯しないでほしいんだけど。」
「今日は悪戯してもいい日なんだよ。何と言ってもハロウィンなんだから。」
狼は子猫の尻尾をきゅっと握った。
ハルカは自分の提案を少しだけ悔やんでいた。
今日はハロウィンということと、ちょうど休日が重なったことで、ホグワーツは朝からお祭り騒ぎだった。
もちろん、ハロウィンの本番は夜だから、昼間から天井がカボチャのランタンで埋め尽くされているということはない。
しかし、ハルカは大のお祭り好きだった。
仮装の気分だけでも味わいたくて、「動物もどき」のもどき、つまり、アニメーガスもどきになれる呪文をシュウに掛けてもらったが、それがそもそも間違いだったような気がする。
「この格好になったら、人前に出られないじゃない……。」
「当たり前じゃないか。」
シュウの平然とした受け答えに、ハルカはますます自分のミスを確信する。
この姿の自分は四足でしか歩けないし、生えている耳と尻尾は本物。
仮装行列に加わるなんてもってのほか。
誰かに見られたら、新種の魔法生物と誤解されても仕方ないような姿なのである。
「君、凄く賢いんだなって思うときもあるけど、同時にバカに違いないとも思うよ。」
「シュウ、それ褒めてるの?けなしてるの?」
「褒めてるように聞こえるんだったら、君は相当おめでたい人だよ。」
シュウは指にくるくると尻尾を絡ませる。
「でも、ぼくは嬉しかったよ。君が昼間からぼくと二人っきりでいたいって言ってきたんだから。」
「……別にそんなこと言ってないじゃない。」
「君がこの呪文を使ってほしいとぼくに言う意味はそういうことなのさ。」
柔らかな毛並みに逆らわぬよう撫でる。
ふわふわとした毛は優しくシュウの手をくすぐった。
「ぼく達の関係は禁じられている。それに、この呪文はまだ誰にも知られていないし知られたくない。これを組み合わせると答えは一つだろう?」
「……シュウの方が余程おめでたいかも。」
「褒め言葉と受け取っておくよ。」
シュウは尻尾の先に口付けた。
狼はご機嫌だった。
子猫はつまらなそうに振舞っているものの、耳を見ると決して退屈していないと分かる。
顔は背を向けているから見えないけれど、狼にはそれで十分だった。
狼は黒い尻尾を頬に持っていく。
優しく頬擦りすると、子猫の耳は機嫌良く跳ねた。
「ねえ、ハルカ。」
「何?」
「呼んだだけ。」
「……。」
「その沈黙の意味は?」
子猫が尻尾を引くので放してやると、子猫は尻尾を自分に引き寄せ、コロリと再び寝返りを打った。
狼に向けられたのは子猫の呆れ顔。
「……前々から思ってたんだけど、シュウ、狼になると性格ちょっと変わるわよね。」
「どんな風に?」
「考え方とか好みとか長所とか短所とか、とにかく全部。それがいつもより表に出てるような感じかも。」
狼は頷く。
「この呪文は個人の特性を引き出す呪文だからね。動物という分かりやすい形を取っているけど、本質は個性の顕現さ。」
狼はこちらに向き直った子猫に両手を伸ばす。
軽々と抱き上げ、その頭を自分の膝に乗せた。
「ぼくはいつだって君に構いたいし構ってほしいけど、それがなかなか出来ないからね。だから、この呪文に頼るのかもしれないな。」
「出来ないのは、二人っきりになれない事情とか、無駄に高いプライドなんかが理由?」
「無駄に高いは余計だよ。」
狼は子猫の頭をくしゃりと撫でた。
「ねえ、ハルカ。」
シュウはハルカに笑いかける。
「……名前を呼ぶだけっていうんだったら返事しないわよ。」
ハルカは先程と全く同じ呼びかけに、自身も同じく呆れた口調で返す。
「そんなことしたら、返事するまで呼び続けるよ。」
「……子ども。」
「何とでも。」
シュウはハルカの頭を撫でる手とは反対の手で髪をかき上げる。
ハルカはそれをただ見上げる。
日の光に反射する新緑色の髪が綺麗だとそれだけを思った。
シュウはハルカの顔に自分の顔を近づける。
「Trick or Treat?」
「は?」
「悪戯されたくなかったら、お菓子をくれないかい?」
少しでも動けば唇が触れ合ってしまいそうな距離。
「……こういう場合、それは子どもしか言っちゃいけないのよって言うべき?」
ハルカはただ笑っているだけでない笑顔のシュウを見つめる。
彼がこういう顔をするときは何を言っても聞かないと知っているのだけれど。
「ぼくはまだ子どもだよ。」
案の定、彼はそう返してきた。
「いつもは大人ぶってるくせに。」
「こういうときは子どもになれるのがこの年代の特権さ。」
シュウは子どものようにワクワクした顔でハルカの答えを待つ。
ハルカは吐息を感じるほどに近い顔を無言で見つめていたが、ふっと微笑んだ。
ゆっくりと舌を伸ばし、ペロリとシュウの唇を舐める。
「はい、これでいいでしょ?」
「……君、ぼくがこんなのじゃ満足しないって分かっててやってるだろう?」
ご機嫌だったシュウの顔が一瞬にしてムスッとなる。
それは自分にしか見せてくれない顔だと思い、逆にハルカは上機嫌になる。
「だって、今のシュウは子どもなんでしょ?」
ハルカは自分の顔のすぐ上にあるシュウの顔を押し上げる。
そして、自分も起き上がった。
「子どもは子どもらしくお昼寝の時間よ。」
ハルカは足を投げ出して座るシュウに飛びつき、そのまま二人で転がった。
シュウの広い胸に頬をすり寄せる。
「一緒に眠りましょう、シュウ。こんなにぽかぽかして気持ちいいんだもの。シュウと二人でお昼寝なんてめったに出来ないし。」
今度はシュウが呆れたようなため息をついた。
「君は猫になると全体的に可愛くなるよね。ちょっと困るときもあるけど。」
胸に甘えるハルカの顎を持ち上げる。
悪戯な瞳がシュウを見つめた。
「それって、いつもは可愛くないってこと?」
「そうは言ってないだろう?いつもより積極的だってことさ。」
そのまま喉をくすぐってやると、ハルカは機嫌良さげにクスクス笑った。
「ハルカ、君のお昼寝という言葉、そのままの意味で捉えなくてもいいかい?」
「ダーメ。」
小さな子猫は狼の胸に抱きついた。
「シュウが子どもなら、わたしだって子どもよ。子どもはただ眠る時間。」
「子どもだからこそ、悪戯が許されると思うんだけど?」
狼は子猫の頭を撫でてやりながら、子猫との言葉遊びを楽しむ。
「子どもの悪戯で済むことなら。でも、シュウのしたいことって子どもの悪戯じゃ済まないかも。」
「そうだね。これは子どもの悪戯なんて簡単なことじゃない。」
「そう、これは笑って済ませられることなんかじゃないわ。」
「少なくとも、今のホグワーツでは許されるはずのない罪。」
自分を見上げる子猫に狼は微笑む。
狼の瞳に踊る欲望は子どものそれではない。
「それでもあなたは望むの?」
「だって、君を愛することが悪いことだなんて思わないからね。」
「わたしもよ。」
クスリと子猫は微笑み返す。
「だからこそ眠りましょう、シュウ。昼は子どもの時間。夜はわたし達の時間。闇を駆ける猫と狼こそが夜の支配者。」
歌うような子猫に、狼も楽しそうに呼応する。
「動物達が子どもではいられない時間、それがハロウィンの夜。」
「そして、大人は欲が深いの。」
子猫の瞳は大人のそれだった。
「悪戯かお菓子か、なんていうのは子どもの挨拶。大人だったらそんなこと言わないわ。」
「だったら今夜、君はぼくに何て言ってほしい?」
妖艶な子猫は欲望をたぎらせる狼の耳に唇を寄せる。
「Trick And Treat!」
そよそよと暖かな風が入る窓。
そこから見えるのは、身を寄せ合って子どものように純粋な顔で眠る二人。
しかし、次に目覚めた時、二人は子どもではない。
秘密のお菓子で口を甘く満たし、許されざる悪戯の夜を情熱的に踊る。
大人だけが味わえるお菓子と悪戯の味、それは快楽。
大人となる夜を待ち、二人の子どもは眠り続けた。